エピステーメー(1977年11月号)「マルセル・デュシャン」 横山正・小林康夫訳
最初は、この「読解」を手がかりに、情報を整理していくことからはじめます。
1914年のボックス 《一九一四年のボックス》読解文序
一九一四年、デュシャンは自筆のメモ類を写真によって複製し、ボール紙の箱に入れたものを3部だけ作り、パリで《出版》した。二十年後の『グリーン.・ボックス』の試作品とも言うべきこのメモ集は、-般に『-九一四年のボックス』La boîte de 1914(S210,Ph,P90)と呼ばれる。このボックスには十六のメモと一枚のスケッチ(「太揚のなかに徒弟をもつ」)が収められ、それらはすべて十五枚のボール紙の台紙(25×18.5cm)に貼られている。台紙の枚数が少なくなっているのは、《三つの停止原基》に関する三つのメモ(〔1〕~〔3〕)が一枚の台紙にまとめられているからである。容器の箱はコダックの写真乾板の空箱が使われている。なお、オリジナルのメモは、のちにウォルター・アナレンズバーグに与えられ、現在はフィラデルフィア美術館のアレンズバーグ・コレクションに所蔵されているが、それもほぼ同様の体裁をとっている。
これらのメモは《停止原基》に関するものを除けば、《大ガラス》あるいはデュシャンのその他の作品に対する直接的なレフェランスを持たない。とすれば、このボックスは、いわば『グリーン・ボックス』の余白に書かれている、と言うこともできるだろう(メモが書かれた年代そのものは「グリーン・ボックス」とほとんど変わらないことに注意しよう)。だが、われわれはこの余白においてこそ、デュシャンのもとでの様々な観念(《製作の理念》)の生成の現場により一層近く立ち会うことができるのではないだろうか。現実の作品へと結実する遙か以前の発生状態のアイデア、あるいはむしろ言葉の上での単なる思いつき-デュシャンの言葉は、単純であればあるほど、曖昧な意味の複合、不透明な余白の混沌へとわれわれを導いていくだろう。他方、このボックスはそれ自体ひとつの《作品》、しかも極めてデュシャン的な作品であることを認めなければならない。それは《写真》によって記録されており、容器の《箱》は写真乾板用のまさに《レディ・メイド》である。『カバンヌとの対話』でデュシャンは、こうしたボックスについて、はじめから箱のイメージがあったわけではなく、むしろアルバムのような形にすることを考えていたと語っている。そして、おそらくわれわれは、そのアルバムから箱への飛躍のなかにデュシャンの《創造的なプロセス》を見出すこともできるだろう。なお、このボックスの「三」という製作部数にも、彼の原型的なオブセッションを認めることができよう(メモ〔1〕-〔3〕およぴ〔12〕の註参照)。
翻訳にあたっては図版として掲げたアルーサーロ・シュヴアルツによるファクシミリ版(A.Schwartz,《Notes and Projectes for The Large Glass》)を底本として用い、メモの配列はミシェル・サヌイユ編《Duchamp du signe》に従った。ただし、実際には、メモに定まった順序があるわけではなく、各メモに付されたナンバーは参照のための便宜的なものに過ぎないことに留意されたい。この《ボックス》には、英訳としてHamilton.《The Bride Stripped Bared by Her Bachelors, Even》, Schwarz《Notes and Projectes for The Large Glass》,があり、日本語にも瀧口修造(《デュシャン語録》、粟津則堆(《みづゑ》1968年12月号)、東野芳明(《マルセル・デュシャン》)の諸氏によって部分的に訳されている。今回、われわれの翻訳には、註を付け加えたが、デュシャンのメモの本来的な在り方からして、故によって原文の正確な意味により一層近付くことができるというわけにはいかないだろう。《正確な意味》などどこにもなく、むしろ無数の多義的な意味の可能性があるのであり、われわれの註がそうした一意的ではない拡がりを多少とも開くことになれば倖いである。かなり強引とも思えるレクチュールを付け加えたものもあるかもしれないが、それはそうした様々な水準にたわる多義性のうちのひとつの《可能的なるもの》として受け取って載きたい。もちろん、われわれの註はかなり部分的なものであり、また訳そのものについても、なお不都合な点も多いと思われるので、大方の御教示を載ければ倖いである。
最後に註の中で用いた略号を示しておく。 LG=A.Scbwarz, 《Notes and Projectes for The Large Glass》,Ed.Thames and Hudson,1969,London.(LGの後に添えられた数字は同書中でのメモのナンバーを示す)。 DDS=《Duchamp du signe》,Ecrits réunis et présentspés par Michel Sanouillet, Flammarion, 1975, Paris. CW=Arturo Schwarz《The Complete Works of Marcel Duchamp》, Thames and Hudson, 1969, London. S=CW作品目録のナンバー。 PH=フィラデルフィア美術館、カタログ・ナンバー(Anne d’Harnoncount, Kynaston of Mordern Art and Philadelfia Museum of Art, 1973, New York) P=パリ「デュシャン展」カタログ・ナンバー(《Marcel Duchamp, catalogue de la retrospective Marcel Duchamp 》 Tome Ⅱ, Centre national d’art et de culture Georges-Pompidou, 1977, Paris)
製作の理念
-もし、1メートルの長さの水平でまっすぐな糸が、1メートルの高さから水平面上に自由に形を変えながら落下し、長さの単位の新しい形態を与えるとすれば-。
-ほぼ同じような条件のもと、つまりひとつずつ配慮して得られた3つの標本は、長さの単位の近似的な再構成である。3つの停止原基は縮小されたメートルである。
訳注
1-DDSによれば、〔1〕と〔2〕のメモは1枚の方眼紙の表裏に書かれている。〔3〕は別の紙片であるが、ボックスの写真コピーでは〔1〕と〔2〕と合わせて一枚の台紙にまとめられた。ただしシュヴェルツの記述(CW.584頁によれば、オリジナルのボックスでは〔1〕〔2〕と〔3〕は別の台紙に粘られている。
2-この三つのメモのうち〔1〕だけがまったく同じ形で『グリーン・ボッグス』に再録されている(LG97,DDS50頁)。
3-〔l〕はA.《Si un fil droit horizontal・・・tombe…et donne…》と条件節だけで終っている。この文章は、B.《Si un fil…tombe,il doune…》(もし1mの長さの水平でまっすぐな糸が、1mの高さやら水平面上に自由に形を変えながら落下すれば、それは長さの単位の新しい形態を与える)となっている方が自然であろう。だが、リオタールも指摘しているように(《Les trasformateurs Duchamp》,p64-109)「pならばqである」という命題の条件節「pならば」だけを言って、その帰結「qである」を言わないのは、デュシャンのメモに特徴的な語法である。同様の例は〔8〕のメモにも見られるし、さらに《遺作》のタイトルにも使われている。「pならばqである」という運動(p→q)は、ひとつの因果関係を示している。しかしデュシャンにとって、この運動は論理的必然性をもつものではない。むしろそれは《皮肉な因果関係》、偶然性によって支配されているのである。彼は別のところで、《意図したが表現されないもの》と《意図せずに表現されるもの》とのあいだの《芸術係数》という考えを表明しているが(「創造的プロセス」,DDS 189頁)、ここでも明らかなように、pという条件が与えられた時点では、qはあくまでも可能性の領域にとどまっており、最終的にある結果が得られたとしても、それはpとは別の時点での出来事であって、pとqとのあいだには何らかのズレが予想されるのである。そしてまた、われわれは(p→qという運動が、デュシャンにおいては、一個の独立した関係として把えられているというより、むしろ絶え間ない関係の増殖、重合のひとつの環としてある、ということに注意すべきかもしれない。すなわち〔l〕のメモの原文Aは、すでに述べたようにBという構造(p→q)をそのうちに含んでいた。つまり、いわばP →(Q) :Aのレベル p→q :Bのレベルというような関係、あるいはp→q :Bのレベル q→ ─── p → :Aのレベルというような関係がそこには働いているように思われるのである。そして、そのことによってデュシャンの思考は決してひとつの命題には還元し得ない無限の戯れを生きることになるだろう。
4-〔1〕の仮定の結果は、〔3〕のメモ「三つの停止原基は縮小されたメートルである」に示されている。このメモが〔l〕とは別の紙片に書かれていたことは、いま述べたさp→qという運動の非連続性を暗示している。だが、われわれはこの結果に達する以前に、条件の《裏》に書かれたもうひとつのメモ〔2〕に注目しなければならない。〔2〕のメモもまた、その内部にp→q(一本の糸から長さの単位の新しい形態へ)を含んでいる。そして、ここで問題にされるのは《一本の糸》から《三つの標本》へという、数の増幅である。《三》という数は、デュシャンにとっては、多数を意味するものであった。ピエール・カバンヌとの対談で、彼は言う。「わたしにとって、三という数は重要なものです。でもそれは秘教的な観点からではなく単に命数法の上でのことです。一、それは(ユニテ)単位〔=統一〕です。二は、ニ重、二元性です。そして三はその全部残りです。あなたが三という語に近づけば、あなたは三百万を得るでしょう。それは三と同じものです」(Pierre Cabanne,《Entretiens avec Marcel Duchamp》,Belfond,1967,Paris,p.81)。三という数はデュシャンの作品、とりわけ《大ガラス》において支配的である。三つの《換気弁》、3×3ニ9人の《独身者たち》、3×3=9回の《射撃の跡》など……。そしてこ,の三という数は、多数性という意味において、デュシャンの偶然性のもうひとつの側面である《不精確な正確さ》と結びつく。『停止原基』を得るための三回の実験は、《ほぼ同じような条件》になるように《ひとつずつ配慮して》行なわなければならない。もちろん、完全に同一な状態を何度も再現することは不可能である。しかし、それはできる限り同一に近いものでなければならない。条件が同一であることによって、はじめて、結果をもたらす道程に働く偶然の作用が際立ち、《偶然の缶詰》Lehasard en conserve(DDS50頁)が可能になるのである。こうして、《不精確な正確さ》をもって反復される実験は、その条件においても、またもたらされる結果においても互いに《近似的な再構成》となるだろう。そして、この実験は、多数回-すなわちデュシャンにとっては三回-反復されることによって、統計学の教える通り、あるひとつのユニテに《接近した》形態を与えることになるだろう。この二重の意味での《近似的な再構成》-その内部における、そして長さの単位に対する-は、このように織りなされた相対性-近似性の故に、ある力を保有している。一回限りの実験で得られた形態が、つまりたったひとつの標本しかないとすれば、それは《メートル原基》にとってかわるもうひとつの絶対的なユニテをもたらすに過ぎないだろう。だが、すでにある絶対的なユニテの周りを、たくさんの『停止原基』が取り巻くとしたら、《肯定のイロニスム》(DDS46頁)。
5-デュシャンは、一九一三年に〔1〕〔2〕のメモ通りの実験を行ない、落とされた糸をそのままの形でカンヴァス上にワニスで固定し、さらにガラス板で保護した。彼はまた、その形を木の薄板に写し取って、三本の曲線定規を製作している。そして、これらすべてはクリケットのスティックの箱(レディ・メイド)に収められ、『3つの停止原基』3 Stoppages Étalon(S206,ph lOl,p94)と名付けられた。われわれはこの曲線を、《大ガラスの独身者たちの平面図である『停止原基の網目』、(1918年,S214,ph102,P95)、最後の油絵 Tu m'(1918年,S 253,Ph 124,p114)に見出すことができる。
6-この『停止原基』は《偶然の罐詰》であると同時に、変形され、《縮小されたメートル》である。デュシャンは後にこう語っている。「一メートルという長さの単位が、そのメートルとしての同一性を実質的に失うことなく、直線から曲線へと移された。それは一点から他の一点に至る最短の経路が直線であるとするような考え方に対して、バタフィジッグな疑問を提出している」(「私自身について」Apropos de moi-méme.DDS225頁)。デュシャンが、非ユークリッド幾何学や四次元空間の問題に強い関心を寄せていたことはよく知られている。二点間の最短経路が直線になるのはユークリッド空間の場合であって、空間自体がある歪みをもっている場合には、たとえば曲面上では測地線が最短距離を与えるように、必ずしもそれは直線とはならない。『停止原基』の曲率は、そのような空間内部の線を二次元のユークリッド平面に変換したものと考えることもできる。あるいは逆に、一本の直線を、ある曲率をもった面に投影しても、やはり、このような形が得られるだろう。この場合には影の曲線の長さが一メートルであれば、もとの直線の長さは一メートルより短いはずである(《縮小されたメートル》?)。そして、さらにタイトルの《ストッバージュ》(=停止装置)を考えあわせれば、それは落下・変形の時間運動をある一時点で切断・停止したものであり、時間の次元もその内部に含まれていることになる。したがって、『停止原基』は、いわば四次元非ユークリッド空間のある断面、ある痕跡なのである。
7-だが、もちろん、われわれは、『停止原基』をいかに(擬似)科学的に説明したところで、それが《バタフィジック》の産物であることを忘れるわけにはいかない。「バタフィジックとは潜在的性質によって表わされた物の特性を、象徴的な形で輪郭にほめこむ想像的解釈の学問である」(A・ジャリ「フォーストロール博士の言行録」,1911年)-『停止原基』を、あるいはデュシャンの創作の特質を、これほど適切に言い表わした言葉はほかにあるまい。デュシャンもまた、もう-人の偉大なバタフィジック学者、《未知の次元の王国》(ibid)の旅行者であったのだろうか。
ばんざい! 洋服とラケットおさえ
訳注
DDSによれば(36頁)、このメモは封緘葉書の断片に書かれている。LGのファクシミリを見ると、この下にさらに文章が続いていたように思われるが、破り取られて、残りは失われている。
1-「ラケットおさえ」は、テニスラケットの形を整えておくためのものだが、フランスではⅩ字型のものが多く使われているという。
2-デュシャンとテニスとの関係について、われわれが知っているのは、僅かに妹シュザンヌがテニスをしているところを描いた最初期のスケッチ(1902年,P2)だけである。
3-「洋服」という問題は、「大ガラス」のなかの「制服」の問題はおくとしても、デュシャンの作品中の幾つかのものと関連する。洋服そのものをモティーフにした『ジャケット』1956年,S339,Ph172)、『チョッキ』(1958年,S342,Pb173,P159)などがある。
4-さて、「洋服」と「ラケットおさえ」とのあいだにどのような関係が考えられるだろうか。こうした謎のような問いに答えることはほとんど不可能に近いが、敢えて言えば、「ラケットおさえ」ほ、ラケットが使われていない時に、つまり本来の動的な在り方から離れている時に、ラケットに一定の形を押しつけておくものであり、また他方「洋服」も、ある意味では同様に、人間の本来の動的な在り方を束縛し、人間に社会的な一定の型を押しつける役目を果しているものである(その極端な例が制服だろう)。『階段を降りる裸体』(S181, Ph72,P64)に顕著に見られるようなデュシャンにおける裸体と運動との密接な結び付きを考慮すれば、こうした解釈の方向、すなわち文章全体をイロニーとして考えることも許されよう。
幸福な、または不幸な(好運な、または不運な)偶然のタブロオをつくる。
訳注
1-原文は、《Faire un tableau:de hasard heureux ou malheureux(veine ou déveine)》であり、《Faire un tableau》のあとにコロンが入っている(DDSではこのコロンが脱落している-このように細かな所ではDDSはかなりいい加減であり、注意を要する)。コロンの有無によって意味が大幅に変るわけでもないが、ニュアンスとしては《タブロオ》と《偶然》とのあいだに距離が生まれ、《偶然のタブロオ》という具体的なものをつくるというよりも、《タブロオをつくる》という行為に様々な偶然が介入するというように、多少の一般性を文章全体が滞びてくる。
2-《‥…をつくる》というメモは、このボックスの〔16〕〔17〕、また『グリーン・ボックス』の《病気のタブロオまたは病気のレディ・メイドをつくる)(DDS49貫)などほかにも多くある。何気ない文章ではあるが、しかしこうしたメモに現われるデュシャンの発想がいわてゆる伝統的な画家の発想とまったく隔絶していることは、あらためて指摘しておかなければならないだろう。《タブロオをつくる》とはいえ、それは絵画の対象にも、主題にも、方法にすらも拘束されてはいない。むしろ、これは、そこでは《タブロオ》という概念が根底から揺り動かされ、破壊されかねないような思考の顕われなのであり、そうしたある種のイデー観念が問題になっているのである。
3-すでに〔1〕〔2〕〔3〕のメモが明らかにしていたように、《偶然)を作品のなかに導入することにデュシャンは大きな関心をもっていた。『停止原基』に関連しつつ、デュシャンは次のように言う。「偶然というイデー、その当時多くの人々がそれについて考えていたのですが、わたしもまた例にもれずそれに強く刺激されました。その意図というのは、とりわけ手を忘れることにあったのです。つまり、結局はあなたの手にしても、それは偶然なのですから。論理的な現実性に対抗する手段として、純粋な偶然にわたしは興味を惹かれたのです」(Pierre Cabanne.《Entretiens avec Marcel Duchamp》.ibid,p.81)。このように、少くとも《偶然》はここでは、画家の《手》(スタイル、個性)によって支えられていた《タブロオ》という概念へのひとつのアンチ・テーゼとして考えられているのである。
4-《幸福な、または 不幸な偶然》に関しては、たとえばアユノス・アイレスにいたデュシャンがパリの結婚した妹シュザンヌに手紙で指示し、彼女がバルコニーに雨ざらしにして得られた幾何学の教科書のレディ・メイドが『マルセルの不幸なレディ・メイド』と呼ばれている(1919年,S260,Ph130,P120)。
引き離し義務兵役反対。手足や心臓やその他の解剖学上の部分を《引き離すこと》。各兵士はもはや制服を着ることができず、心臓は引き離された腕などに、電話で食糧供給をする。そして食糧供給がなくなると、《引き離されたもの》はそれぞれ孤立する。最後には、引き離されたものから引き離されたものへの哀惜の統制。
訳注
1-このメモは、このボックスのなかではかなり異色なものであろう。というのも、『グリーン・ボックス』のメモに多く見られるような一種の物語の構造がここには見出されるからである。 ⓐ-義務兵役に反対するために、 ⓑ-身体の各部分を引き離す。 ⓒ-制服を着られなくなる。 ⓓ-引き離され過ぎて、電話で食糧共給をしなければならない。 ⓔ-さらに引き離されて、連絡が途絶え、孤立する。 ⓕ-哀惜の統制が布かれる。物語とはいえ、これらのあいだが現実的な論理によって結ばれているのではなく、あるいは「風が吹けば、桶屋が…‥・」を想い出させかねないデュシャン独自の《皮肉な因果性》によって展開させられていることは明らかだろう。
2-だが、われわれはこのメモから何を読み取るべきなのだろうか?-たとえば《義務兵役反対》ということから、われわれは容易にデュシャン自身のエピソード、つまり一九〇五年、徴兵の法制度が変わる前に旧法の徴兵年期短縮の特権に浴するために、ルーアンの印刷工のところに住み込み、技芸工の資格を取って、徴兵年期を一年で済ませたという彼のエピソード(Pierre Cabanne ibid. p.26-27参照)を想い起すことができる。-また、《制服》は、不可避的に《大ガラス》の《独身者たち》の部分と関連しそのひとつのレフェランスとなることによって、独立した問題を提起するだろう。これに関しては、東野芳明『マルセル・デュシャン』の第四章「空っぽの制服たち」に詳細な論述がある。-さらには、A・シュヴアルツは、このメモを《独身者たち》の《去勢》という文脈で読解している(A.Scbwarz.《Qu'y a-t-il dans un mot?》, in《Opus International》49.ed.Georges Fall,1974,Paris,p.36)。
3-これ以上にわれわれが付け加え得ることは少ない。が、まず第一に、このメモにおいては、個人の身体corpsとあるひとつの軍団corps d’arméeとが重なり合ったイメージがつくられていることを指摘したい。物語のⓐⓑⓒは前者の、ⓓⓔⓕは後者のイメージが強く出ている。両者のレベルが意図的に混ぜ合わされているわけだが、いずれにせよ、《制服》に象徴されるような統一性や、また身体一の有機的な全体性や自己同一性に対する反対原理が語られていることは明らかだろう。そしてそれが《心臓が電話で食糧供給する》というような機械論的なイメージに結び付いていくところは、デュシャンにおける機械への思考の発生的な在り方を示しているようで興味深いものがある。だが、それでは最後の《哀惜の統制》Réglem entation des regrets とは何か?-これについては、リオタールは《哀惜》の両義的な在り方、つまり一方では孤立したもの同士の関係(独身者のあいだの関係)として《離隔異化》dissimilationのカテゴリーに属するものでありながら、他方では、各《引き離されたもの》の完全な分散を遅らせ、それらをつなぎとめているものとして《離隔異化》とは反対のカテゴリーに属するものでもあるということを指摘している(《Les Transformateur Duchamp》ibid.p.69-71.)。
電気を横に《芸術における》電気の唯一可能な利用。
訳注
1-《電気を横に》-原文は《L'éléctricitéen large》、A・シュヴアルツの英訳では《Electricity widthwise》である。言うまでもなく、「照明を横に置く」というような類いの意味ではない。とはいえ、また何か電気の具体的な利用法がここに告知されているわけでもない。
2-単純に考えてみても、芸術において電気の利用の仕方がひとつしか可能でないということはあるまい。デュシャン自身にしても『回転半球』などにおけるモーター、あるいは《遺作》の内部の照明や滝の仕掛け(「ビスケットの罐の側面にたくさん穴をあけ、これが滑る仕掛けになっている。内部の電球の光が穴を通して点滅し、滝の部分には綿の糸がつるしてあって、いかにも滝が落ちているように見える」-東野芳明『マルセル・デュシャン』60貢)などいろいろな利用の仕方をしている。
3-とすれば、明らかにこの《電気》は、ある種の観念のレベルで考えられているものと見なすことができる。そして、その場合は、たとえば『グリーン・ボックス』の多くのメモが語っているような《大ガラス》における《花嫁》と《独身者たち》の電気的な関係や《花嫁》の電気的な裸体化の運動(《開花》)、また〔6〕のメモに見られるような(《電話による食糧供給》)孤立化した要素間の電気による結びつきなど、関係や運動、欲望などのモデルとして《電気》が利用されていることに注目すべきであろう。また、そうした文脈の延長で、Cola alités(1959年,S 351,Ph 176,P161)に描かれた電線と電信柱のデッサンもこのメモの一レフェランスとして考えられるべきかもしれない。
4-最後に、これも-種の言語遊戯だが、《L'éléctricité en large》の音のなかに《L'éléctricité en l'art》(芸術における電気)が隠されていることを指摘しておこう。
……であるので。もし私が、自分がひどく苦しんでいると仮定するならば……
訳注
1-《Étant donné que…;si je suppose que je sois souffrant beaucoup…》-ジャン・スュケ『花嫁の鏡』(《Miroir de la Mariéé》flammarion,1974,Paris,p.191)によれば、ここに掲げた文章の次に《(énoneer comme un théorème mathématique)》-(数学の定理のように述べる)-という文章が付加されている未完のメモがあるらしい。
2-そこでスュケは、このメモについて次のように述べている。「たった-度だけ、ここで、《私》という言葉が花嫁のメモの中性的な性格をそこねてしまう。告白という圧力がかかっているのである。私はひどく苦しんでいる。私は重態なのだ。生々しい裂傷。そして《大ガラス》はこの傷の結晶化した痕跡であるだろう」(ibid.)。
3-さて、確かにデュシャンの膨大なメモのなかで《私》という言葉が現われるほとんど唯一のメモであるにしても、そこにデュシャン自身の現実的な苦悩を読み、それを《大ガラス》へとげ繋ていくスュケの解釈は多少強引であり、また性急過ぎるように思われる。それよりも、むしろ、スュケ自身が見出したこのメモのヴァリアントの示唆に従って、極めて心理的なまた主観的な内容を、数学におけるような客観的で中性的な叙述の形式によって表現することがここでの中心的な問題であると考えるべきではないだろうか。そして、実際、主観的・心理的な内容を強いて科学的・抽象的な形式で記述することは、デュシャンのメモや作品に広く共通するひとつの特徴であるだろう。
4-このメモの冒頭の《Étant donné》という言い方は、遺作の『(1)水の落下(2)照明用ガス、が与えられたとすれば』Étant donné:1 lachuted’eau,2 le gaz d’ éclairage.にも使われているものであり、東野芳明氏が説明しているように(『マルセル・デュシャン』21-22貢)、数学などの記述に用いられることも多い。いずれにせよ、「……が与えられたとすれば(……が与えられているので)」というような既定条件を示すものとして〔1〕〔2〕〔3〕の註で述べたような(P→ )にあたる論理的な構造を喚起するものである。なお、《Étant donné que…;》と接続詞《que》のあとの文章が省略されているわけだが、この《que》を〔10〕の註3と同じように《queue》と読み替えて「男根があるので……」といったような卑俗な解釈をする可能性もないわけではない。
〔見る〕見るのを視ることはできる。聴くのを聴くことはできない。
訳注
1-このメモにはヴァリアントがある。 Sens: On peut voir regarder.Peut-on entendre écouter,sentir humer,etc……?(M.D.)(感覚。/視るのを見ることはできる。聴くのを聞き、嗅ぐのをかぐことができるか?(M.D.))(In Da Costa,《Le Memento Univerel》 fasc.l.Paris 1948./DDS 276頁)-《voir》(視る)と《regarder》(視る)が入れ換っていることに注意したい。
2-デュシャンのメモにしては珍らしく、意味ははっきりしてしくる。視覚の特殊性を訴えたもので、デュシャンの視覚についての様々様な実験や作品(『片限で-時間』S256,Ph127,P117,rステレオスコピー』S258,Pb128,p118,『回転半球』S284, Ph148,P137,『アネミック・シネマ』S289,Ph151,Pl40など)の出発となる命題でもあろう。言うまでもなく彼の《鏡》についての関心もこうした命題に裏打ちされているわけである。 LGによれば、裏側に「1914」と記されている。
─これしかない。雌としては公衆小便所、そしてそれで生きる。─
訳注
1-《On n’a que:pour femelle la pissotiere et on en vit.》-この文章の中心になっている《pissotière》という言葉は、「公衆小便所」という意味の《vespasienne》の俗語である。パリなどの街路に置かれた男性用の公衆便所であり,その形については一九六一年にデュシャンによって書かれたグ.ワッシュの作品『ピエール・ド・マッソのためのアナグラム』(S359,Ph181)が参考になる。なお、題名の通り、この作品の「公衆小便所」にはアナグラムが書きこまれている。《De Ma/Pissotière/J’aperçois/Pierre de Massot》(わたしの/公衆小便所から/わたしは見つける/ピエール・ド・マッソを)。
2-シュヴァルツはこのメモを「花嫁の領域から独身者の領域へ」という分類のなかに入れているが、直接的にそうした文脈で読解を行うのはかなり無理だと言わざるを得ない。だが、明らかに「雌」という言葉は「大ガラス」の左上の「雌の縊死体」Pendu femelle へとつながっていくものであろうし、また、例の一九一七年の『泉』(S244,Ph120,P110)において顕在化する男性用小便器と「雌」あるいは性の問題との特徴的な連関(たとえば東野芳野『マルセル・デュシャン』74-77貢を参照)へのひとつの萌芽をここに読み取ることもできるだろう。
3-しかし、われわれはまずこのメモを独立させて読まなければならない。そして、ここにデュシャン特有の言語遊戯が隠されていることを指摘しなければならないだろう。幾つかの可能性があるかもしれないが、その最も基本的な部分は、《On n'a que:》を《On a queue》と読み替えることにある。この場合、《queue》は「尻尾」が本義だが、俗語で「男性性器」という意味があり、全体で「雌のために男根をもつ、公衆小便所、そしてそれで生きる」というような別の意味が生まれてくる。〔ほかにも、《on en vit》の部分に《envie》(欲望)という言葉を見出すこともできよう〕
4-われわれの訳、つまり-次的な意味においては,いわば「雌=公衆小便所」という関係が成り立っていた。この水準においては、われわれはこのメモを、たとえば独身者の満たされない欲望の表明として受け取ることができるわけである。しかし、〔2〕で述べたようなこ次的な意味においては、むしろ「男根=公衆小便所」という関係が垣間見られている。そして、それは『ピエール・ド・マッソのためのアナグラム』に見られるような、公衆小便所と男根との形態的な類似によって裏打ちされてもいるのである。こうした両性具有的な在り方、それがある意味での「公衆小便所」そのものの在り方-つまり、男根が露出される場所でもあり、男根から放出される液体を受け取める場所でもあるということ-に呼応していることは言うまでもあるまい。
黄色の世界ヴォリュームの上あるいは下にヴォリュームの橋、パトー・ムーシュ遊覧船が通るのを見るために
訳注
もとのメモには《黄色の世界》)という言葉の上下にほぼ三本の線が見られる。また《ヴォリュームの上あるいは下に》のなかで《あるいは下に》の部分は後から行間に書き込まれたもののように見える。
1-《黄色の世界》un monde en jauneという言葉は『グリーン・ボックス』のなかのメモに再び現われる(DDS66貢,LG10)。《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも/-農業機械-/-(黄色の世界)-/むしろテクストのなかで/(以下略)》。ただし、二行目と三、四行目とはそれぞれ赤の線で囲まれており、後者にはやはり赤で疑問符が書き込まれ、さらにはそのどちらも黒の鉛筆で斜線が引かれ消されたようになっている。
2-この『グリーン・ボックス』の方のメモを引用しつつ、(黄色の世界)という言葉について、A・シュヴアルツは、「秘教的な伝統においては、黄色という色は金と太陽とを象徴するものであり、さらに太陽は《天啓》を象徴している。そして、天の啓示ということになれば、一般的に金と黄色とは秘伝伝授者の状態を象徴する色である-極東の司祭たちはサフラン色の衣服をまとっている。あらゆる原型がそうであるように、象徴としての黄色もまた両義的である。硫黄は過失にそして悪魔に結びつけられる。そして、それはまた、結婚と姦通の、智恵と裏切りのご対立し合う対と雌雄同体の色でもある」(Arturo Scbwarz,《La Marié mise à nu chez Marcel Duchamp,même》trad.de làrglais en fransais par Anne-Marie Sauzeau-Bootti,ed.Georges Fall.1974,p.38)。と述べ、《黄色の世界》が《大ガラス》のいわば副題としてふさわしいものであると言う。しかし、その後に、彼ほデュシャンとの会話によれば、デュシャンはそうした色彩の《原型的で象徴的な価値》を全く知らなかったということを付け加えている。
3-『ホワイト・ボックス』のなかのメモに色彩について述べたものがあるが、たとえば《色の分類》の項目などでは(DDS112貢)、黄色が最初にきており、しかも《レモン色》から《オレンヂ色》まで他の色に比べれば数多い分類がなされている。それは、おそらくデュシャンの黄色に対する特別な関心を示すものとして受け取ることもできようが、その具体的な連関については不明である。4-後半部も難しい。《遊覧船》は明らかにセーヌ河の観光船であり、ここには何らかの具体的な風景の反映があるようであるが、また最後の一行は《橋》という言葉からの連想から生まれたユーモアのある「蛇足」とも考えられるだろう。いずれにせよ、問題は《ヴォリューム》である。これを普通の絵画の用語として考えることは全体の文章の調子からいってかなり無理があるだろう。むしろデュシャンの四次元世界への関心を考慮して、三次元のヴォリュームが四次元世界の写像や断面であると,見なすことが適切かもしれない。実際,『ホワイト・ボックス』には、四次元連続体において《面は線のように見られ),《線は点のように見られる》,では《ヴォリュームがどのように見られるかを展開すること》というメモがある(DDS128-141貢参照)。その場合、四次元世界のものは,三次元のヴォリュームが連続した《橋》のようなものと想像されないだろうか(このメモでは《ヴォリ久一ム》は複数形になっている)。そして,その時,その《ヴォリュームの橋》の周囲にも(上にも下にも)同じようなヴォリュームの連続があるであろう。また,そうした観念のもとでは,三次元のヴォリュームである《遊覧船》の時間的な移動は何らかのモデルを与えるものとなり得たかもしれない。
樽遊びはひじょうに美しい巧みさの《彫刻》である。連続した3回分の成績を(写真によって)記録すること。そして、《全然入らない場合》やちょうど平均的な場合にくらべて、《全部入った場合》をとくに選んだりしないこと。
訳注
1-《樽遊び》jeu de tonneauとは,『プチ・ロベール』によれば,上部に数をふられた穴があけられている箱(昔は樽が使われた)に金属 の円盤を投げ入れる遊びである。その形はデュシャンのメモの原文に小さなスケッチがる。訳の方には現われていないが,この箱のことを《蛙》grenouille(これは俗語で貯金箱を指す)とも言うらしい。つまり,《全部入った場合》と訳したところは《toutes les pièces dans la grenouille》(すべての繋が蛙のなか)となっている。
2-《巧みさの彫刻》とほいえ,それはメモの後半にあるように《巧み》であることが重要なのではない。うまく穴に入れようとしてあるものは外れてしまうし,あるものは入るだろう。その意図を超えた偶然の作用によって得られる結果がおもしろいのであり,意図と結果とのズレが《ひじょうに美しい》と言われているのである。これは〔1〕〔2〕〔3〕の註3で述べた《芸術係数》という考え方に直接につながっていくものであろう。また、《大ガラス》の《九つの射撃の跡》-おもちゃの大砲にマッチを詰めて,一点を狙って発射し,その結果の通りに穴を九つ開けたもの-もまったく同様の《巧みさ》という意図と偶然との相剋のドラマによってつくり出されている(DDS54頁参照)。このどちらも、穴に関係するわけで、おそらく《九つの射撃の跡》は《棒遊び)の直接的な発展型として考えることが許されよう(この発展においては、辛が大砲という機械に置き換えられていることに注意しなけれはならない)。
3-《風-換気弁のために/巧みさ一穴のために/重さ一停止原基のために》(DDS55貢)-これは『グリーン・ボックス』の中のメモである。いずれも偶然性を生み出す要因あるいは媒体と作品とが対応させられているわけだが,最初に掲げられた《換気弁》ともこの《樽遊び》は強い連関がある。つまり《換気弁》は,《大ガラス》上部の《高所の掲示》あるいは《銀河》と呼ばれる部分に開けられた三つの方形であるが,それはガーゼを吊るして,それが風によって揺れるときの瞬間的な偶然の形を写真によって記録することによって得られるものであり,《樽遊び》の場合の《写真》という記録手段が生かされているのである(DDS5S-57貢参照)。
4-さて、このように偶然によって時間の要素が導入されることによって、《樟遊び》の三次元的な《彫刻》は四次元的な営為の像となり、それがさらに写真によって二次元の像へと変換させられる。デュシャンは《彫刻》を,常に四次元世界の変換された像と考えるのであり、そうした考え方の上に立って《音の彫刻》や《滴りの彫刻》を構想している。
─太陽のなかに徒弟をもつ─
訳注
五線譜に描かれている。左下に、《Marcel Duchamp1914》とサインされている。
1-《太陽のなかに徒弟をもつ》という言葉はそのままの形で『グリーン・ボックス』のなかのメモに現われる。《〔照明用〕ガスから傾斜面に至るまでの改良/「傾斜面」の項目への「註釈」として=写真を撮らせる、太陽のなかに徒弟をもつ》(DDS76貢)。ここでは,この言葉はこのメモのデッサンそのものを指しているように思われるが,確かではない。
2-しかし『グリーン・ボックス』のメモを媒介にしてこのメモと《大ガラス》を結びつけることはできる。その場合は、自転車に乗る男は《独身者》、坂は《大ガラス》の未完成の部分《トボガンの流れの坂》として解釈される可能性がある(A・シュヴアルツ,CW147貢参照)。3-自転車のスケッチは当然、このメモが書かれる前の年(1913年)の《最初のレディ・メイド》と言われる『自転車の輪』(S205,Ph94,p87)を想い起させるだろう。また、A・ジャリのパタフィジィカルな物語のひとつ『受難を丘のぼり競走にたとえれば』(アンル・プルトン『黒いユーモア選集』下巻、国文社,1969年73-76貢参照)のイメージとの親近性を見出すこともできるだろう。
(アール)担保arrheの(アール)芸術artに対する関係は、(メルドル)糞ったれmerdreの(メルト)゙糞merdeに対する関係に等しい。
担保 arrhe 糞ったれ merdre
───────── = ────────────
芸術 art 糞 merde
文法的には、絵画のアール担保は女性である。
訳注
1-《糞ったれ》merdreは、周知のように一八九六年、A・ジャリの演劇『ユビュ王』の幕開きとともに発せられた言葉であり、意味の上ではほとんど《糞っ》merdeと変りはない。しかし、ジャリは《r》を付け加えることによって《愚鈍さや臆病さ偽善に対する満身の反抗》(J.H.Leresque Alfred Jarry,éd.Seghers,poèetes d'aujourd’huj 24.1967,Paris.p9)の身振りをそこに定着したのである。それに対して《担保》arrheは語源的に《芸術》artと関係があるわけではなく、一応まったく別の言葉である。ただし、この語は常に複数形《arrhes)で使われるのが普通であり、その限りでは《merdre》と同様、辞書には見出せない言葉である、と言うこともできるかもしれない。また、《arrhe》も《art》に《r》が付け加えられた形をしていることも見逃せないだろう(周知のようにアランス語ではhは発音されない)。
2-いずれにせよ、常識的に考えれば、右側の関係と左側の関係とは、等号で結ばれるほどはっきりと等価ではないように思われるであろう。だが、あえてそれらを等価に見立てればどうであろうか?-ⓐ-《merdre》と《merde》が同じものだという面においては、これは《芸術》とは《担保》(あるいは《手付金》)のようなものだという《芸術》に対する一種の侮蔑となる。ⓑ-《merdre》が《merde》とは決定的に異なる次元を獲得しているという面では、もはや《芸術》という言葉が入り込むことのできないパタフィジィカルな次元、《担保》と言われるような永遠の《留保》や《遅延》しかあり得ないような新しい次元が開示されていることになろう。
3-ところが、ここにもうひとつの転換が起ってくる。それは、性の変換であり、《art》、は男性名詞であるが、《arrhe》は女性名詞なのである(こうした変換は《merdre》⇔《merde》では起らない)。デュシャンはこれをメモの後半で強調しているのである。
4-このように、デュシャンにおいてはa/bという《代数的比較》の形式ほ実に様々な意味をもってくる。《a/bという関係は、全体とa/b=cであるようなcという数のうちにはない。それはaとbとを隔てている言という記号のうちにあるのである》(DDS44頁)。だから、われわれは《arrhe》と《art》、《merdre》と《merde》の関係を何かひとつの概念のうちに還元するべきではなく、それらの近付き合い、隔て合う関係そのものにおいて把えなければならない。
5-マルセル・デュシャンによれば a/bは花嫁/独身者と、つまりMAR(iée)/CEL マル/セルと読まれなければならないと言う(Marcel Jean,《Histoire de la Peinture Surréaliste》Le Seuil.pp.105-107)。このようにa/bをそのまま《大ガラス》に重ね合わせたとすると、このメモにおいて上部が女性形名詞、下部が男性形名詞であることは極めて興味深い。またその場合、《大ガラス》の下部がいわゆる伝統的な透視法で描かれ(art)、上部が四次元世界のバタフィジィカルな表現(arrhe)になっていることに注意したい。(この問題に関してはJean Suquet,《Le signe de la concorde》,in《Arc》n.59,1974,Parisを参照)。
6-なお、《r》の付加ということについては、デュシャンのもうひとつの名《ローズ・セラヴィ》がわざわざ《Rrose Selavy》と《r》をダブラせてあることも参考になろう。
線的透視法は、等しいものを様々に表象するのによい方法である。すなわち、透視方的なシンメトリーにおいては、等価なものと類似(相似)なものと等しいものが混同される。
訳注
1-《透視法》については『グリーン・ボックス』,『ホワイ トボックス』の各所で言及されているが、後者にかなりまとまった量のメモがある(DDS122-127貢)。
2-《perspective linéire》をここでは仮に《線的透視法》と訳した。しかし厳密にはこの訳語は正しいとは言えない。正確には線(的)遠近法、あるいは透視図法と訳すべきだろう。《perspective》の訳語に遠近法と透視図法の二つが充てられるために往々にして混乱が生ずるが、本来は遠近法の方が広い概念で,これには線的なもの以外にも,大気・色彩などの遠近法がふくまれる。そのひとつとしての線(的)遠近法がそのままルネサンス時代のイタリアで確立を見た透視図法であり、それゆえ線(的)遠近法、あるいは透視図法の言葉をもって冒頭の字句の訳に充てるのが正しい態度かもしれない。ただ遠近法という訳語には原語のもっている「視」のイメージが欠けている」。また透視図法という言葉はむ亭とん.ど製図の世界でのみ用いられている。これらに加えて《perspective》は本来、ラテン語の「見透す」という意味の言葉に由来するものであることを考え、またすでに瀧口修造氏,束野芳明氏などによって使われてきている背景に助けられて、あえてデュシャンらしい表現として《線的透視法》という訳語を選んだ。ただしここでデュシャンがこの言葉を選んでいる態度はごく直裁的なものであり、まさに伝統的な線(的)遠近法,透視図法そのもの以上の意味はふくめていないように思われる。
3-さてその内容であるが、前段はとくに問題はないだろう。透視図法によれば、対象となる物体あるいは空間の画面に対する置きかた,あるいは画面との距離によって異なる写像が生れる。すなわちそこでは「等しいもの」が「様々な」形態に二次元的に「技象」されるのである。ただデュシャンのこの指摘が面白いのは、本来、ある物体または空間の視の構造を一義的に定めるものとされ,視覚世界の確定のための方法として存在して来た透視図法を、まさにそれをくつがえすもの、多様な「視」を可能ならしめる方法として、逆説的に、捉えている点である。ごくさりをげなく行なわれたこの表明が内包するところは意外に大きくデュシャンの思考の本質に迫っているのである。
4-後段冒頭の透視法的なシンメトリーというのは、デュシャンの造語であり、このような概念が存在する訳ではない。デュシャン特有の、むしろ対立し相反する概念の結合のごときものと考えるべきかもしれない。透視図法においてはすでに述べたように,対象となる物体あるいは空間の画面からの位置関係、距離によってその写像が変化するのであるから、ある対象とまったくの相似形をなす対象物がちょうど同じ写像を画面上に結ぶような距離に置かれていたとすれば、ただ写像のみを見た場合には、はたしてその二つの対象物が合同のものなのか、それともたんに相似形をなすものが異なる距離のところに置かれているのかの区別をすることができない。「等価なものと類似(相似)なものと等しいものが混合される」のである。ここでデュシャンが数学用語と一般の用語とを混ぜて用いている理由はよく分らない。おそらくあまり厳密に場合を数学的に分類することを考えているのではなく、イメージに浮んだ内容を知っている文字で書き附けたのであろう。瀧口訳では「つまり等価なもの、似たもの(相似物)が……」と、最後の文字をはずして訳してある。内容的にはここでまた前段と同じく、事実の率直な記述によって透視図法に対する一般の通念を逆転させることがはかられているのである。
鏡付の箪笥をつくる。この鏡付の箪笥を錫の裏箔のためにつくる。
訳注
1-このメモに註釈を加えることは難しい。文章は余りに平易であり、しかもデュシャンの作品のなかに、これに対するレフェランスを見出すことは困難である。
2-ただ僅かにひとつ、「鏡付の箪笥」そのものが登場する作品がある。「修正されたレディ・メイド」として有名な『エナメルを塗られたアポリネール』(1916-17年,S243,Ph119,P109)であり、その右端に「鏡付の箪笥」がある。デュシャンはその鏡のなかにエナメルを塗る少女の後姿、つまり髪の毛を描き込んでいる。また、この作品の寝台の部分は着色された錫板でできている。
3-また、箪笥ということを離れて考えれば、当然『デルヴォ一風に』(1942年,S312,Ph160,P146)における周囲を錫箔(ただしS,Phに従う。Pはアルミニウムと言う)によって覆われた鏡を想い起すこともできるだろう。
4-「鏡」も「箱(箪笥)」も、デュシャンにおいて豊かな反映をもつテーマであるが、おそらくこのメモ自体の内部でそれらを掘下げることは無理だろう。強いて言えば、「錫の裏箔のために鏡付の箪笥をつくる」という論理は明らかに日常世界の論理の逆転であり、そこに鏡の世界に特有の構造を窺うこともできよう。5-なお、文章や単語の水準を離れて、一種の記号分析(=破壊)(J・クリステーヴァ)の水準で考えてみると、《armoire》(箪笥という単語を、(ar+moi+re》と分解し、《arre》→《arrhe》→《art》(芸術)〔〔14〕番のメモを参照〕のなかに《moi》(私)が割り込んでいる、あるいは閉じこめられているイメージを、箪笥や鏡との関連において、導き出すことも可能かもしれない。
頻度のタブロオをつくる。
訳注
1-原文では、この文章はコロン(:)で終っており、デュシャンに「頻度のタブロオ」の具体的な例を挙げる意志があったことを思わせる。それが書かれないまま中断されたのはどうしてであろうか。-あるいは、デュシャン自身も、具体的なイメージが先にあってこのメモを記述したのではなく、むしろ「頻度のタブロオ」という二つの言葉の結び付きそのものがレディ・メイドとして書き取られ、ついに具体的な例を生むことがなかった、と考えるべきなのかもしれない。
2-もっとも「タブロオ」には「絵」の意味のほかに「表」というような意味もあり、「頻度表」という具体的なものが問題になっていると考えることができないわけではない。
3-だが、「タブロオ」を飽くまでも絵画として考えれば、「頻度」frèquenceとはいずれにせよ時間的な反復の概念であり、そうした時間的なものと密接な関係をもつタブロオとして-「頻度」という概念が正確にあてはまるわけではないにしても-、『階段を降りる裸体』を中心とする作品群との相関を考えることもできよう。