2008年6月10日火曜日

1914年のボックス 読解(15)

頻度のタブロオをつくる。


訳注

1-原文では、この文章はコロン(:)で終っており、デュシャンに「頻度のタブロオ」の具体的な例を挙げる意志があったことを思わせる。それが書かれないまま中断されたのはどうしてであろうか。

-あるいは、デュシャン自身も、具体的なイメージが先にあってこのメモを記述したのではなく、むしろ「頻度のタブロオ」という二つの言葉の結び付きそのものがレディ・メイドとして書き取られ、ついに具体的な例を生むことがなかった、と考えるべきなのかもしれない。

2-もっとも「タブロオ」には「絵」の意味のほかに「表」というような意味もあり、「頻度表」という具体的なものが問題になっていると考えることができないわけではない。

3-だが、「タブロオ」を飽くまでも絵画として考えれば、「頻度」frèquenceとはいずれにせよ時間的な反復の概念であり、そうした時間的なものと密接な関係をもつタブロオとして-「頻度」という概念が正確にあてはまるわけではないにしても-、『階段を降りる裸体』を中心とする作品群との相関を考えることもできよう。

デュシャンのとって「タブロウ」は反復するものではなかったはず。それでもなお、反復させるとはどういうことなのか。好きだったものを閉じ込めるために「大ガラス」を創ったと考えるべきか。


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