2009年3月6日金曜日

四次元の目の構成


四次元の目の構成
次のような始まり─ある円周が、(視線がこの円周を含む平面のなかに入り込むまで、上下に移動する三次元の目から見れば)練達近法[透視図法]の法則によって慣習的に規定された多くの形を通過する。
次 のような結末──(三次元の目にとって一つの球体は、視点のようであれ、常に球体自体に等しい)。しかしある球体が、(四次元の視線が普通の三次元の目の 視線になるまで、四次元的に移動する四次元の知覚から見れば)視線を縮小することなく少しずつ量塊を減らす三次元の球体から単なる平面の円周に至るまで多 くの形を通過する。
[一九一四年一一月一一日の日付のガス料金請求書の裏に]

ここからも引用ですが、類推で感覚をつかまないといけません。

次元とは何なのだろうか?

 そこで、四次元の構造物を、三次元の世界から眺めるとどういうことになるのか考えてみよう。一次元は、点だけの世界だ。二次元は、平面の世界で、縦軸と横軸の世界になる。

○四次元の球体は不思議な挙動を見せる

 立体の世界は、三次元になる。X軸、Y軸、Z軸の座標軸で描ける立体だ。四次元になると、もうひとつの軸が加わる。W軸がもう一本ふえる。この軸は時間とともに不思議な変化をする。
 三次元の世界から、この四次元の世界の球体を覗くといったいどういうふうに見えるのだろうか。はじめに、四次元の球を超球体としてみる。この超球体を三次元からみると、どの方向からみても同じ球に見える。
それでは、どこに違いがあるのだろうか? 
このことを知るのに、まず超球体の超表面にに色をさまざまに塗り、超球体の中心をかえずに回転させる。すると、全体が、赤くなったり青くなったり時間とともに奇奇怪怪に変化する。
三次元の球ならば、幾ら時間がたっても赤く塗ったところは赤く、黄色に塗ったところは黄色に見える。それは、表面が平面だからだ。
しかし、超球体Iの表面は立体=球である。 

超球体の断面は、全体として変体するように見えるが、三次元の立体に投影されているのは、超球体の一断面の部分だ。

だから、全体の超球体はけっして見ることができない。

このことを想像するのは難しいことだ。超球体Iは分割しても、また球である。
つまり、3次元からみるといくつに切っても同じもの=立体の球が表れることになる。 

 これを、理解するには、二次元と三次元の関係におきかえてみる。いま仮に、二次元の人間がいるとしよう。この二次元に住む人間が三次元の球を見た とすると、それはただの円としか見えない。三次元の人間がこの球に色をさまざまに塗り、これを回すと、二次元の人間は、手品を見せられているように感じる はずだ。平面しか見えない彼にとって、平面の円のなかの色が時間とともに変化するのはなぜかさっぱり分からない。それは、彼は三次元の断面を見ているので ある。それは、三次元の裂目のようなものだ。

 三次元の球を次々に切ってみると二次元の人間には、やはり円に見える。ただ、次々に大きさが異なっていることは分かる。 

 これと同様に四次元の球を切ってみると、三次元からは大きさが変化することは観察される。大きさが変化するとは三次元の断面(裂目)からは、その一部を次々に見ていることだ。
しかし、その切断の部位は知ることは全くできない。

 四次元で少しも不思議でないことが、三次元からは不思議に感じられる。四次元世界の断面が三次元であるということは、三次元の人間が映画を見るように、この立体の世界を見ているのだと、実際にはこのようにしか例えようがない。

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