2008年12月30日火曜日

引越し中

グリーンボックスだけ引越し終了です。(ここです。)

2008年12月29日月曜日

悩んでます

ブログの引越しを計画しています。

ここです。

問題はこのページは閉鎖するか維持するかです。

2008年12月27日土曜日

8.花嫁

独身者によって裸にされる花嫁
二つの主要な部分、つまり (一) <花嫁>
(二) <独身者たち>

図形的配置。
縦に、長い画布。
上部に(花嫁)、下部に独身者たち。
独身者たちは花嫁に対して構造的な下部としての役目を果たさなければならないのだが、花嫁は処女性の一種の頂点となる。
─煉瓦性のこの下部の上には、紐帯構造による台座をもつ蒸気機関。
堅固な煉瓦黄み層、脂ぎって、淫乱な独身者=横平(発展させること)。
このエロティズムが(独身者=機械の大きな歯車の一つでなければならないのだが)、表わされるところでは。
このさいなまされる歯車は、機械の欲望=部分[を]生み出す。この欲望=部分は─そのとき機械装置の状態を変化させるが─蒸気状から内燃機関の状態へと移行する。
(内燃機関=欲望、淫乱な歯車の結果を発展させること)。
この内燃機関=欲望は独身者=機械の最後の部分である。内燃機関=欲望は、<花嫁>と直接的接触をするどころか、羽による(あるいは水による)冷却装置によって分離される。
この冷却装置は(図形的に見て)、(花嫁)がただ単に非官能的な氷塊であるどころか、独身者たちの性急な申し出を熱く(清らかに、ではなく)拒否することを表わすためのもの。冷却装置は透明なガラス製になろう。数枚の合わせガラス板。[図8]
この冷却装置にもかかわらず、独身者=幾械と〈花嫁〉の間に断絶はない。しかし、つながりは電気的なものになり、そうして裸体化を表わすことになろう。つまり交互作用である。必要ならばショート。
つなぐものに、つまりあたらしい内燃機関の出現を肯定することの必要性に配慮すること。

花嫁

一般的に、この花嫁内燃機関が処女性の頂点としてすなわち無知な欲望、(ほんの少しの悪意がこもった)無垢な欲望として現れなければならないとしても、そして(図形的に)花嫁内燃機関が重力バランスの法則にかなう必要がないとしても、それでも一本の光沢性の金属支柱はこの処女とその友人や家族とをつなぐものに見せかけることができよう(これら友人や家族は図形的には大地にある一つの堅固な台座に対応する。独身者=機械の組帯構造の下部がそれ自体大地にのっているように[閉じ括弧なし]。
<花嫁>は彼女自身の基礎部分では 内燃幾関をなす。しかし、花嫁は臆病な力を伝える内燃機関であるまえに─この臆病な力そのものなのである。この臆病な力は一種の小型自動車、愛のガソリンであり、愛のガソリンはその恒常的生命の火花の及ぶところまで、非常に弱いシリンダーに供給されて、この処女が欲望の果てで開花するのに役立つ。(ここで欲望=歯車は、独身者機械の場合よりも小さい位置を占めることになろう。それは、花束を包む紐でしかない)。
図形的重要性すべてはこの運動的開花のためにある。
この運動的開花は、電気による裸体化によって制御される(独身者機械から花嫁への移行を見よ)。
裸体化の瞬間を表わすこの運動的開花は、花嫁の 樹木=型に[花嫁という典型的樹木?]接ぎ木されなければならない。この樹木=型は歯車=欲望にその根を張るが、しかしながら電気による裸体化の運動的効果は、非常に弱いシリンダーつきの内燃機関に伝えられ、樹木=型を停止したままにして(造形的必要性)─(図形的にはミュンヘンで私はすでにこの樹木=型を二つの習作で表現した)、しかも欲望=歯車にほかかわらない。この欲望=歯車の方は樹木=型を生み出しながら、この樹木=型によって開花への、つまり欲望する花嫁の自発的に想像する裸体化の開花への欲望を伝えるのである。
電気によるこの裸体化が非常に弱いシリンダーつきの内燃機関を作動させると、内燃幾閑は時計の歯車に合わせて作動する独身者たちによって裸にされて開花をあらわにする。
樹木=型に接ぎ木される─運動的開花(電気による裸体化によって制御される)。この運動的開花はタブロー(図形的にいえは表面としてのタブロー)の最も重要な部分である。それは、一般的に花嫁の背光であり、その火花を散らす振動の総体である。図形的にいえば、熱狂的な色彩によってこのような巧妙な用語─花嫁の欲望─を象徴化することは問題になっていない。色彩は、この開花全体ではもっと明るくしさえすれば、この開花の諸要素の、つまり花嫁=欲望する彼女が想像する性生活の諸要素の一覧となるだろう。この開花では 花嫁が裸体となり二つの外観を呈して現前する。第一の外観とは独身者たちによる裸体化の外観であり、第二の外観とは花嫁の想像的=自発的外観である。純粋な処女性の二つの外観の結合によって─それらの衝突によって─開花全体が、タブローの上部全体とその冠が決定する。
したがって、図形的に発展させることとは、
(一) 独身者たちによる裸体化の開花
(二) 欲望する花嫁の想像的な裸体化の開花。
(三) 得られた二つの図形的展開については、それらの和解を見出すこと。この和解が、原因の判別できない「開花」になろう。
論理では、析できない二つの原因(独身者と想像的欲望)の混合、物理的合成物。
裸体化されているこの花嫁を失墜させるかもしれない(失墜させるであろう)性的快楽以前のこの花嫁の最後の状態。
図形的には、タブローの他の部分とは全く異なる仕方でこの開花を表現する必要性。
(一) 独身者による裸体化の開花は、電気的に制御されて。
この開花は─電気による裸体化の効果であるが、図形的には時計(駅の電気時計)の動きに至らなければならない。歯車装置、歯車等々。(長針のずきずきするような規則的動きを十分与えながら、発展させること[閉じ括弧なし]。
艶消しした金属(純銅、鋼鉄、銀)でできた全体。

(二) 欲望する花嫁の自発的に想像する裸体化の開花。
この開花は樹木=型の仕上げの展開でなければならない。
それは、この樹木=型の上で小枝のそれぞれで始まる。
ニッケルとプラチナをふりかけられた小枝。この開花が樹木から遠ざかるにつれて、斜面をローギアで登るような自動車に似ている。(自動車は高く登ることを次第に欲望し、希望に疲れたかのように、ゆっくりとアクセルを踏みながらも、モーター[内燃機関]の規則的回転を繰り返しながらスピードを増して、ついには勝利のうなりを鳴らすに至る[閉じ括弧なし]。

(三) 開花=冠
(前二者の合成物)
第一の開花は非常に弱いシリンダーつき内燃機関と結びつく。
第二の開花は樹木=型と結びつき、第二の開花は樹木=型の運動的発展となる。
樹木=型はその板を、欲望=歯車、つまり花嫁の 構成部分、骨格部分にその板を張る。
非常に弱いシリソダーつき内燃機関は花嫁の表面的器官である。そしてそれは、愛のガソリン、花嫁の性腺の分恥物によってそして裸体化の電気火花によって作動される。(言ってみれば、花嫁は独身者たちによるこうした裸体化を拒否せず、これを受け入れさえする。なぜなら花嫁は愛のガソリンを供給し、そしてその性的快楽への激しい欲望を火花を散らしながら発展させることによってついには完全な裸体化に貢献するからである[閉じ括弧なし]。
それゆえ、非常に弱いシリンダーつき内燃機関、つまり花嫁の構成的だが表面的な器官は、開花という楕円の二つの中心[定点]なのである。(第一の中心は、独身者による裸体化の開花の中心であり、第二の中心は花嫁の自発的に想像される 裸体化の開花の中心である。第二の中心は、欲望=歯車(花嫁の骸骨部分)を作動し、樹木=型を生み出して、等々[閉じ括弧なし]。

骸骨としての花嫁

花嫁は、その基礎部分では愛のガソリン、(あるいは臆病な力) の貯蔵庫をなす。この臆病な力は、非常に弱いシリンダーつき内燃機関に供給されて、その恒常的生命(マグネト発電機=欲望)の火花に触れると、爆発しそしてその欲望の最終段階に達したこの処女を開花する。
マグネト発電機=欲望の火花に加えて、電気による裸体化が生み出す人工的火花は、非常に弱いシリンダーつき内燃機関のなかで爆発を引き起こすことになる。
したがって、この非常に弱いシリンダーつき内燃榛関は二つの点火時間がある。第一の点火時間(マグネト発電機=欲望の火花)は不動の樹木=型を制御する。この樹木=型は一種の脊柱であり、花嫁の自発的裸体化の開花の支えとなる。第二の点火時間(電気による裸体化の人工的火花)は時計装置を、つまり独身者たちによる裸体化の開花の図形表現を制御する(時計装置は、電気時計の長針のずきずきするような規則的動きを表わす)。
花嫁は、電気的裸体化の火花に愛のガソリンを供給するからには独身者たちによるこの裸体化を受け入れる。しかも花嫁は、第一の火花の中心(電気的裸体化)にそのマグネト発電機=欲望の第二の火花の中心を加えながら、完全な裸体化に貢献する。

開花

彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも

─農機具
─(黄色の世界)
むしろ、テクストの[なか]?
短い……の御貴翰にお答えして。謹んで ……[この件は]大いに興味をそそり……
タイトルについてではなく

装置

耕作機具

独身者=機械の主要な形は、不完全である。つまり、長方形、円形、平行六面体、左右対称な半円形、半球=すなわちそれらの形は測定されている(それら相互の大きさの比率と独身者=機械に割り当てられたこれらの主要な形の比率)。花嫁においては、主要な形は 多かれ少なかれ大きいか小さくなるだろうが、それらの割り当てに応じた一つ一つの測定値を持つことはもはやない。つまり、花嫁においては球体は何かしらの光線で作られるだろう(表現に与えられる光線は、虚構であり、点線にされる)。

<雌の溢死体>と[(雀蜂)] においても同様にしかもそれ以上に、いくつかの放物線、いくつかの双曲線(あるいはそれらから派生する量塊)は測定された状況のあらゆる特性を失うだろう。具体的表現は、これら自由な主要な形のそれぞれの一例にすぎないだろう。(表現的価値ほないが、最良にも最悪にもなりうる一例である)。
振動する運動に加えて針=脈動は、浮遊状の綱の上に取りつけられる。針=脈動がもつ自由は、檻のなかの動物の自由である─針=脈動は(シリンダー=セックスを作動させるその振動する運動によって)[小歯車をはめ込んだ]軸に向かって通風を送り込むことになるという条件で。したがって針=脈動は、バランスを取りながらシリンダー=セックスを移動させると、シリンダー=セックスはこの小歯車に、露を、つまり繊維性の練りものの導管に養分を供給しなければならないという露を吐き出し、同時に(縊死体)に、基本方位に従うその揺れを刻印する。

雀蜂=特性

(一) 浸透による愛のガソリンの分泌
(ニ) 嗅覚あるいは黒い球のアンバランスの波動を感知する感覚。(綻死体)の上部との関係で(この上部は、極のそれぞれに新しいバランスの指令を与える)。
(三) 針の脈動を規定する振動特性。
(四) (縊死体)およびその付属物の前後の揺れを規定する通風。
雀蜂の養分層の貯蔵器、つまり
貯蔵器の下部は液層であるが、そこに雀蜂=セックスは、小歯車を潤し繊維性の物質に養分を供給するために必要な分量を汲み出しにくるだろう。この液体層は揺れ動く湯船に 入れられるだろう(花嫁の衛生)。


シリンダー=セックス─(<雀蜂>)。

通風、つまり

内部の通気から出てくる。
針=脈動の起源は花嫁の生命の中心にある。(花嫁は生命の中心を持つ─独身者たちはそれを持たない。独身者たちは、石炭によってあるいは彼ら自身からではなく彼ら自身ではないものから引き出した他の原料によって生きる[閉じ括弧なし]。
BとCは(揺れながら)円環Aを叩きにくる。Bは下から、Cは上から─この上とこの下は、通気 ピストンを通して伝えられる決定あるいは書き込みに関して役割を果たさなければならない。[図11]

2008年12月26日金曜日

7.上部の書き込み

上部の書き込み

[それは]通風ピストンによって獲得される。(これらピストンを「準備する」方法を指示すること)。
次に、一定期間、(ニケ月から三ケ月)通風ピストンを「設置すること」そしてそれらの跡が三つの網として残るに任せること。ここでこれら三つの網を、雌の綻死体の命令が通過する(命令のアルファベットと用語は、三つの網の方向によって規制される[[三つの網は]一種の三重の格子であり、これを通って銀河は、命令のアルファベットと用語を支えそして上述の命令の導き手となる][閉じ丸括弧なし]
次にピストンを取り除くこと、そうすればこれらのごつごつした跡だけが残る。すなわちそれは、上述の三重の形を通して送られる文字のすべての組み合わせつまり命令、指令、許可等々を可能にする形であり、この形は射撃痕と跳ね返りにやがて追いつく。
[それは三つの<ピストン>を不規則に厚く包む肌色の一種の銀河である(つまり、ガラスの上に一枚の透明な層が、次に三つの<ピストン>が、次にもう一枚の銀河の層があることになろう)。この肌色銀河は、<書き込み>に対する支えとなるはずであり、<書き込み>は(Aでの)発射中の射撃痕によって占有される。
一枚の白い布切れの(写真)三葉--通風ピストンすなわち空気の流れによって受け入れられそして拒否された布。
(いかなる玉虫色のきらめきも避けるために、写真を撮るまえに、広げた布を点によって、あるいは大きさが等しく幅が等しい小さい格子模様によって、この布を体系的に標定すること[場合によったら、切り取ること]。写真のあとは、不均等に配置された格子模様=標点全体は、三木の通風ピストンの慣習的図形表示を平面に与えることになろう。
一九一五年五月

[開花]ABC
これを一種の<書き込み>とすること
(タイトル)。
 揺れ動く書き込み、すなわちアルファベット単位全体がもはや左から右へという厳密な順序を持たないような書き込み。
─それぞれのアルファベット単位はABC全体では唯一一回だけ現前し、AからCへ移動し元に戻ることになろう。[図7]
─なぜなら、AからCへ向かって、書き込みはお盆Dの均衡の必要に応じてお盆Dの上の一種の[安定装置](球あるいはその他のもの)を移動させなければならない。Aには、[一種の(文字)箱](アルファベット)があり、BCに向かって行くことになろう(発展させ、研究するべきところ)。
この(書き込み)の表現、つまり写土臭(手段)
アルファベット単位を(数、形、意味作用……によって)規定すること。
動くこの書き込みを彫刻的に表示すること、そして瞬間写真を撮ること。最終の次元に引き延ばすこと。

図7

─引き伸ばし用ネガを使って、そのとき臭化銀用に調製させること─大きな板ガラスを。そして裏に直接焼付けること(写土臭用資料を注文すること)。
場合によったら、多重焼付け─(すなわち(たとえば)最初のアルファベット単位の─最初の焼付け)をする手段を探求すること。
チオ硫酸塩処理すること─第二のアルファベット単位の第二の焼付けをし、最初のものに重ねながらも、背景(ガラスの透明な背景)なしで主要部分だけをプリントすること。 
第三、第四、第五等々の[アルファべット]単位[も同様に]。
これらすべて、制作のために研究すべきこと。
(場合によったら、網目写真製版を制作させること─プリントのためだけに)???

場合によったら、より透明でないもの(すりガラス、ガラス上に置かれた油紙またはニス塗りした紙)を使うこと、これにより前過程と後続過程の跳ね返りでできる一時的不透明が可能になる。
[「上部の<書き込み>」のために]
    開花        一九一四年

2008年12月24日水曜日

6.技巧

射撃痕

多かれ少なかれ遠くから。そして一つの標的に向かって。この標的は結局(透視図法における)消失点に対応するものである
得られる形象は、ある三次元物体の主要点の(技巧の)投射となろう。この投射は最高の技巧を凍らしたときには、ある点(標的)に帰着することになろう。
並の技巧によるときは、この投射は標的の減速したものになるだろう。(数々の新しい点[標的の琴々の写像]のそれぞれは一定係数の隔たりを持つだろう。この一定係数の隔たりとは、記憶でしかなく、慣習的にメモされうる。(さまざまな射撃痕がそれらの距離にしたがって 白地に黒で着色されて)─
一般的には、得られる形象は、減速した標的本体の見えうる[voyableという語はない]平面化(移動中の標的本体の停止)である。
発射銃、   先端に新しい絵の具のついたマッチ棒
この作業を九回反復する─同じ箇所に三回×三回。
A 三回の射撃痕
        C 三回の射撃痕
B 三回の射撃痕
ABCはどのような対象であれその一平面のなかにある。            
そしてそれらは減速した標的本体の構図を表わす。              図5
 風─通風、ピストンのため。
 技巧─数々の穴のため。
 重量─停止原器のため。
  発展させるべきところ─
透視図法(あるいはまったく別な慣習的な手段、発射銃……)によって線やデッサンは「強制されて」いるものであり、「いつも可能であるもの」のおおよそを失い、さらにはこの透視図法(あるいは別な慣習)にしたがって不可避的に生成する標的本体あるいは最初の対象を選んだことのアイロニーも失う。

2008年12月23日火曜日

5.偶然

三つの停止原器

偶然を缶詰に。
一九一四年。

制作の着想

─もし水平に張った長さ一メートルの糸が一メートルの高さから望むままに変形しながら水平面上に落下し、長さの単位の新しい形を与えるならば。

重力の制度

偶然の一致担当省。
部局
(あるいはより適切に) つまり
 偶然の一致の制度
 重力担当省。

タブローあるいは彫刻

ガラス製の平らな容器─あらゆる種類の着色液体、木片、鉄片、化学反応[を受け入れるような]。容器を揺り動かしそして透かして見ること。
加速器とその上で熱により動く一枚の紙(あるいは別なもの)を使うこと。
三回の結果を写真にとること─移動と変形のよりよい、しるしを与えるような背景枠を多分使って。
おそらくはねかえりのためにこれを使うこと。

音楽的誤植

 イヴォンヌ   痕跡を作ること ある表面に複数の線で形象をしるすこと 封蝋を押すこと
マクドゥレーヌ 痕跡を作ること ある表面に複数の線で形象をしるすこと 封蝋を押すこと
マルセル    痕跡を作ること ある表面に複数の線で形象をしるすこと 封蝋を押すこと

2008年12月22日月曜日

4.レディメイド

レディメイドを明確にすること

来るべき瞬間(しかじかの日、しかじかの年月日、しかじかの分)に「あるレディメイドを書き込む」を予定すれば。─そのレディメイドはそのあと(どれほど遅れようとも)探し求められるだろう。
したがってそのとき重要なのは、この時間特性[horlogisme]、この瞬間なるものである。何かの機会にしかじかの時間に述べられた言述みたいなものである。それは一種のランデヴー[会う約束]である。
─この年月日、時間、分を当然のことながら情報としてレディメイド上に書き込むこと。
同じくレディメイドの模範的側面も。

相互的レディメイド

レンブラントの絵を一枚アイロン台として使うこと。

貯金帯(あるいは缶詰)

音の出る何か分からないものを閉じ込めてある箱を使ってレディメイドをつくり、そして箱をはんだづけすること。
銅版と紐の玉でできた半<レディメイド>のなかにすでにできている。[図3]

病気のタブローをあるいは病気の<レディメイド>をつくること。
氷ばさみ小売り<レディメイド>として買うこと。

一年単位のレディメイドの数を制限すること(?)

レディメイドの射影

近づけられた二、三、四つの(レディメイド)の射影。
場合によったらそれの引き伸ばしの一つを使い、そこから一つの形象を取り出すこと。この形象とは(たとえば)それぞれの(レディメイド)のなかに取り込まれている等しい[長さ]によってつくられた形象であり、投影によって射影の一部になった形象である。
たとえば 最初の(レディメイド)のなかの一〇センチ。
     第二の(レディメイド)のなかの一〇センチ。
     等々。
これら一〇センチのそれぞれは射影の一部になったものである。

これら「なった」ものを取り出してから、オリジナルな投影における互いの位置関係を変えずに、透写によりそれらの模写をつくること。

2008年12月18日木曜日

3.言語

言語の諸条件

「初源的語」(それら自身によってだけそして単位によってだけ「分割できる」[初源的語])の探求。
ラルース辞典を取り出し、そして「抽象的」と言われるすべての語を、すなわち具体的指示対象をもたないようなすべての語を書き移すこと。
これらの語の一つ一つを指し示す概略記号を構成すること(この記号は停止原器を使って構成できる)。
これら記号群は新しいアルファベットの文字群 と見なしてしかるべきである。
いくつかの記号グループが決定するだろう。
(この[文学]において実詞[広義の名詞から形容詞を除いたもの]、動詞、副詞、語尾変化、動詞活用、等々に対応するようなものを差異化するために─すベての色を利用すること)
理想的連続性の必要性すなわち、それぞれのグループはある種厳密な意味作用によって他のグループに結びつけられてよいだろう(それは一種の文法であり、文章の教育的構成はもはや要求しないが、諸言語の差異そしてそれぞれの言語固有の「言い回し」は無視しながら、実詞の、否定の諸々の抽象作用、動詞に対する主語の諸々の関係等々を、記号=原器を用いて計量したり計測したりするし、(それは次のような新しい関係を、つまり今現用されている言語や来るべき言語の具体的アルファべット形式によっては説明しがたい動詞活用・語尾変化・複数と単数・形容詞化[原文はadjectivationだが、普通はadjectivisationである]を表わす)。
 このアルファベットは十中八九このタブローのエクリチュールにしか適さない。

2008年12月17日水曜日

2.法則と一般的なノート

一枚の笑いを誘うタブローのための一般的なノート

棺の主導者(往復台の繰り言)。
出資されたシンメトリーの原理(操作人と綻死体の動きへのその適用。雌の綻死体を見よ)。
一般に、タブローは一つの外観の現われである。(解説を見ること)。

花嫁全体を大切に保護すること[ガラス球に入れること]、あるいは透明な寵に入れること。
以前のノートに反して、花嫁はもはやシリンダー=胸にガソリンを与えない。「シリンダー=胸」よりもよい呼称を探すこと。
花嫁内部に健康管理を、あるいは花嫁内部に「ダイエット」を。
曲芸師に三木の足しかつけないこと。三つの支点が安定した均衡には必要だからであり、二つでは不安定な均衡しかえられないだろう。
精密絵画、そして無関心の美。
構成の堅固さ、つまり
重ね合わせの等しさ、つまり花嫁と独身者機械の形成層の原理的次元はいずれも等しい。
方針、つまり[図2]

形=空間そして
持続状態のリフレインとして用いられる数字三─(この数字は数学的持続である。)

(皮肉な因果性による)二つあるいはいくつかの解決法のうちからの選択の理由をつねにあるいはほとんどつねに与えること。
肯定のアイロニー表現、対して「笑い」だけに依存する否定的アイロニー表現との間には複数の差異[がある]。

法則、原理、現象

─長さの単位内部の伸長現象。
─自発性の格言=独身者はひとりチョコレートを挽く。
─不安定な濃度の現象あるいは原理、複数メーカーの瓶の本体の特性
─橇の軸棒の自由な金属
─帰路に回復される摩擦(自由な金属)

個人が呼吸する空気に金を払わなければならない社会をつくること(エアー・カウンター)。支払わないときは投獄と空気の希薄化、必要ならば簡単な窒息死(空気を絶つこと)。
条件は(?)
普通の煉瓦でも結び目を堪能させる。
うんざりするほど[英語で]。

よく切れる剃刀の刃ともう切れない剃刀の刃。
前者は「切断」性を蓄えている。
─この「切断」あるいは切断性を使うこと。
横からみた振り子時計、そして空間の検査官。

音楽的彫刻

持続しながら、そしてさまざまな点から出発しながら、そして持続する音響的彫刻をつくる音。
類似した 二つのもの─二つの色、二つのレース、二つの帽子、何らかの二つの形─を識別する可能性を失うこと。ある類似したものから別の類似したものへと記憶痕跡を移すのに十分な視覚記憶の不可能性に達すること。
─複数の音に開音、そして知能[cervelites]に関する可能性さえも。

2008年12月16日火曜日

1.余白のノート

一 余白のノート

『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』とは、つまり既製品を、次々と、自然に思いついたものからそらすためのもの。─そらしとはひとつの操作である。

一種の副題として
 ガラス製の遅延

タブロー盲枠に入った作品]あるいはパンチユール[絵画一般]という代わりに「遅延」という語を使うこと。そうなれば、ガラス上のタブローはガラス製の遅延になる。─しかし、ガラス製の遅延はガラス上のタブローを意味しない。─

 それはただ単に、問題のものがタブローであるとはもはや考えないですむ手段なのである─タブローをできるだけ全体にわたって遅延に変えること、遅延という語が取りうる多種多様な意味においてではなく、それら意味の未決定な集合において。「(遅延)」─ガラス製の遅延、つまり散文[による]詩あるいは銀製のたんつぼというように。

一九一二年
五つの心臓を持つ機械、ニッケルとプラチナでできた純粋な子供はジュラ=パリ間の道路を支配しなければならない。
一方では、裸の五人のうちのリーダーはこのジュラ=パリ間の道路に向かって裸の他の四人の先頭に立つだろう。他方では、子供=ヘッドライトはこのジュラ=パリ間の道路の征服の道具となろう。
この子供=ヘッドライトは、図形的に言うと、彗星になるかもしれない。この彗星は尾を前方になびかせるような彗星である。尾は子供=ヘッドライト の付属物であり、付属物といっても、ジュラ=パリ間の道路を粉々に砕きながら(図形的に言うならば、金粉状にして)吸収する付属物なのである。
ジュラ=パリ間の道路は、人間から見るかぎり無限であるはずなので、一方で裸の五人のうちのリーダーのなかでも他方で子供=ヘッドライトのなかでも一つの終わりを見出すとしても、無限という特性の何ものをも失わないだろう。
「無際限の」という用語の方が無限のという用語より私には正確なように思われる。ジュラ=パリ間の道路は裸の五人のうちのリーダーに始点を持ち、子供=ヘッドライトには終点を持たない。
図形的に言うならば、この道路は 厚みのない幾何学的な純粋線に向かうだろう(二つの面の交わりが一種の純粋に到達する絵画的な唯一の手段であると私には思われる)。
しかし、この道路は(裸の五人のうちのリーダーのところの)その始点で、幅、厚み、等々が完全に終了し、少しずつ地形学的形態を失ったものになり、あの観念的な直線に近づく。この直線は子供=ヘッドライトのうちに無限に向かう穴を見出すのである。
このジュラ=パリ間の道路の絵画的素材は木になるだろう。この木は粉々になった火打ち石の感情的表現のように見える。
場合によったら、ある種の木を選ぶべきかどうか探求すること。(モミの木、あるいはニスを塗ったマホガニー)。
制作の細部。
複数次元=(複数平面)
画布の大きさ。

場合によったら蝶番のタブローをつくること。(折れるメートル単位、本……)移動状態での、つまり(一)平面での、(ニ)空間での蝶番の原理を利用すること。
蝶番の記述を見つけること。
場合によったら雌の(縊死体) に導入すべき。

序言

(一)水の落下
(ニ)照明用ガス
が与えられたとせよ、
そのときわれわれは、複数の法則によって互いに必然化し合っているらしいひと続きの[ある集合の]三面記事の瞬間的「停止」(あるいは寓意的外見)の条件を決定するだろう。一方で(無数の逸脱をすべて受容しうる)この(停止)と他方でこれら複数の法則によって正当化され同じくこれら法則を措く(諸々の可能性の)一つの選択とのあいだの一致の記号を分離するために。
瞬間的停止として=超特急の表現を入れること。
ある集合の超特急の停止[超特急のポーズ](=寓意的外見)のより良い[最良の]露出の条件を決めることになるだろう……等々。
何ものもない<ことによったら>。

はしがき

(一)水の落下
(ニ)照明用ガス
が与えられたとせよ(暗闇のなかで)、
仮にこうしよう、与えられて
晴闇のなかで、複数の法則にしたがって厳密に続いて起きるらしいいくつかの衝突の超特急の露出(=寓意的外見)(の条件)を決めることになるだろう。一方で(逸脱をすべて受容しうる)この超特急の露出と他方でこれら複数の法則によって正当化される諸々の可能性の選択との一致の記号を分離するために。

代数的比較

a aが露出であり
b bが可能であるすべてであるならば
a/bの関係はそっくりすべて、一つの数c[つまり]a/b=cなかにあるのではなく、aとbを分ける記号(a/b)のなかにある。aとbが「知られて」しまえばすぐにも、aとbは新しい単位になりそしてそれらの相対的な数的(あるいは持続の)価値を失うだろう。そこで残るのは、aとbを分離するような記号a/bである(一致の記号あるいはむしろ……の?……探すこと)。

右側と左側は、状況のなかに持続性の染料を後方に引きずるにまかせることで獲得される。垂直軸のそれぞれの側面の割り当てられた状況のシンメトリックなこうした細工は、(左と異なる右としては)外部の複数固定点上の実験の残滓としてしか実際には有効ではない。
そして逆に。つまりそれ自身ひとりで回転すると見なされた垂直軸、たとえば直角の母線は、次の二つの場合
つまり(一)A方向に回転する場合、(ニ)B方向に回転する場合で円をつねに決定するだろう。[図1]

それゆえ、停止状態の垂直軸の場合、母線Gに対して二つの逆方向を検討することがなおも可能であったならば、(何であれ) 生み出された図形はもはや軸の左あるいは右とは呼びえない。
 軸と軸との区別が少なくなるにつれて、すなわちすべての軸がその垂直性に関してぼやけて消えるにつれて、正面と背面、表と裏は循環的意味作用を持つ。つまり右と左は正面と背面の四つの腕になるが、垂直線「にそって」少しずつ消える。
(広がり四[四次元の広がり?]としては)内部と外部はほぼ同一化されることを受け入れられるが、軸はもはや垂直ではなく、もはや「一」次元の外観しかもたない。

2008年12月14日日曜日

グリーン・ボックス

「グリーン・ボックス」は1934年にマルセル・デュシャンによって300部作られました。

「大ガラス」と対を成す資料で、この文章と作品のコラボレーションが作り出す空間を感じることをデュシャンは求めていました。したがって、単なる「大ガラス」の解説書ではないのです。

マルセル・デュシャン前著作 ミシェル・サヌイユ編/北山研二訳 未知谷 から文章を抜粋して読んでいきたいと思います。

2008年12月13日土曜日

再開です

少し休んでいました。
ラベルで分類できるようにウィジットを追加しましたので、少しずつ整理しながら書き進めていきます。

リンクの練習