2009年2月13日金曜日

二つの「同じような」物体

ベルグソンは、1907年の「創造的進化」の中で、「映画的錯覚」という名を与え、映画の偽りの運動を批判した。

ドゥルーズは、ベルグソンを超え、映画の中に「運動イメージ」を見ることにより、その持続性を評価した。

デュシャンも、映画の運動の中の持続性を評価している。


二つの「同じような」物体は、すなわち(貢が実物で他方が玩具である二つの折り畳み式デッキチェァのように)次元は異なるが、貢が他方の複製である物体 は、四次元の透視図法を構成するのに役立つかもしれない=三次元空間で互いの位置関係を決めてこれら二つの物体を配置するのではなく、ただただ次元の差異 がつくりだす錯視を考慮に入れるならば。

映画フィルムのスプールを巻くようにタブローあるいは彫刻をつくること。-それぞれの右転ごとに、大きなリールの上に、人必要ならば直径数メートル)、新しい「画面」を[つくること]。これは先行するものに続き、先行するものを後続するものに結びつけるものである。
─この持続性は映画の持続性とは共通点が何もないかもしれないしそれに似るかもしれないだろう。

一つさらにいくつかの精密楽器をつくること。これらの薫は、(名人芸主義、そして音色の物理理論の無益さを思い出させる音の物理的分割に反して)際だった音形を聞くことなしに記譜できるように、ある音から別の音への連続的移行を機械的に行なう。
[裏に]一九一三年

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