2008年5月21日水曜日

1914年のボックス 読解(7)

〔見る〕見るのを視ることはできる。聴くのを聴くことはできない。


訳注

1-このメモにはヴァリアントがある。 Sens: On peut voir regarder.Peut-on entendre écouter,sentir humer,etc……?(M.D.)(感覚。/視るのを見ることはできる。聴くのを聞き、嗅ぐのをかぐことができるか?(M.D.))(In Da Costa,《Le Memento Univerel》 fasc.l.Paris 1948./DDS 276頁)-《voir》(視る)と《regarder》(視る)が入れ換っていることに注意したい。

2-デュシャンのメモにしては珍らしく、意味ははっきりしてしくる。視覚の特殊性を訴えたもので、デュシャンの視覚についての様々様な実験や作品(『片限で-時間』S256,Ph127,P117,rステレオスコピー』S258,Pb128,p118,『回転半球』S284, Ph148,P137,『アネミック・シネマ』S289,Ph151,Pl40など)の出発となる命題でもあろう。言うまでもなく彼の《鏡》についての関心もこうした命題に裏打ちされているわけである。 LGによれば、裏側に「1914」と記されている。

元の記事 To Be Looked at (from the Other Side of the Glass) with One Eye, Close to, for Almost an Hour, 1918

前々から片目で見る効果というのが、わからなかった。両目で見るのではなく片目でみることにより、立体化されるという効果があるということのようだ。

ヒトの視覚の特殊性というのは、横に並んだ二つの目が、それぞれ違った映像を感じて、それが脳ミソでかきまぜられて、立体を感じるようになっていることなのだった。
一方、カメラというのは、もともとが片目で見た映像なのである。ファインダーをのぞいていないほうの目を、カメラマンがあけたままであっても、写ってきた写真は片目の映像には違いない。これを両目で見れば、「写真は立体を平面に置き換えたものである」という正論が見えてしまうばかりである。だから、写真を、実物からうける視覚の印象と同じように見ようとするなら、片目で見なければいけないのである。
南伸坊「モンガイカンの美術館」

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