2008年5月1日木曜日

1914年のボックス 読解(1)

製作の理念

-もし、1メートルの長さの水平でまっすぐな糸が、1メートルの高さから水平面上に自由に形を変えながら落下し、長さの単位の新しい形態を与えるとすれば-。

-ほぼ同じような条件のもと、つまりひとつずつ配慮して得られた3つの標本は、長さの単位の近似的な再構成である。3つの停止原基は縮小されたメートルである。



訳注

1-DDSによれば、〔1〕と〔2〕のメモは1枚の方眼紙の表裏に書かれている。〔3〕は別の紙片であるが、ボックスの写真コピーでは〔1〕と〔2〕と合わせて一枚の台紙にまとめられた。ただしシュヴェルツの記述(CW.584頁によれば、オリジナルのボックスでは〔1〕〔2〕と〔3〕は別の台紙に粘られている。

2-この三つのメモのうち〔1〕だけがまったく同じ形で『グリーン・ボッグス』に再録されている(LG97,DDS50頁)。

3-〔l〕はA.《Si un fil droit horizontal・・・tombe…et donne…》と条件節だけで終っている。この文章は、B.《Si un fil…tombe,il doune…》(もし1mの長さの水平でまっすぐな糸が、1mの高さやら水平面上に自由に形を変えながら落下すれば、それは長さの単位の新しい形態を与える)となっている方が自然であろう。だが、リオタールも指摘しているように(《Les trasformateurs Duchamp》,p64-109)「pならばqである」という命題の条件節「pならば」だけを言って、その帰結「qである」を言わないのは、デュシャンのメモに特徴的な語法である。同様の例は〔8〕のメモにも見られるし、さらに《遺作》のタイトルにも使われている。「pならばqである」という運動(p→q)は、ひとつの因果関係を示している。しかしデュシャンにとって、この運動は論理的必然性をもつものではない。むしろそれは《皮肉な因果関係》、偶然性によって支配されているのである。彼は別のところで、《意図したが表現されないもの》と《意図せずに表現されるもの》とのあいだの《芸術係数》という考えを表明しているが(「創造的プロセス」,DDS 189頁)、ここでも明らかなように、pという条件が与えられた時点では、qはあくまでも可能性の領域にとどまっており、最終的にある結果が得られたとしても、それはpとは別の時点での出来事であって、pとqとのあいだには何らかのズレが予想されるのである。そしてまた、われわれは(p→qという運動が、デュシャンにおいては、一個の独立した関係として把えられているというより、むしろ絶え間ない関係の増殖、重合のひとつの環としてある、ということに注意すべきかもしれない。すなわち〔l〕のメモの原文Aは、すでに述べたようにBという構造(p→q)をそのうちに含んでいた。つまり、いわばP →(Q) :Aのレベル  p→q :Bのレベルというような関係、あるいはp→q :Bのレベル  q→ ─── p  → :Aのレベルというような関係がそこには働いているように思われるのである。そして、そのことによってデュシャンの思考は決してひとつの命題には還元し得ない無限の戯れを生きることになるだろう。


「創造的プロセス」

一九五七年四月ヒューストン(テキサス州)でのアメリカ芸術連盟の集会において、マルセル・デュシャンが口頭で報告したもののテクスト。ここでの円卓会議〔一種のシンポジウ〕は、ウィリアム・W・サイツ(プリンストン大学)、ルドルフ・アーンハイム(サラ・ローレンス・カレッジ)、人類学者のグレゴリー・ベイトソンそして「哀れな芸術家」マルセル・デュシャンからなる。原文は英語で、『アーツ・ナウ』(一九五七年夏、ニューヨーク、第五六巻四号)に掲載された。フランス語への翻訳はマルセル・デュシャンによる。


 まず初めに二つの重要な要因を、つまり芸術分野のあらゆる創造の二つの極を考察してみよう。ここで言う二つの極の一方は、芸術家であり、他方は鑑賞者である。鑑賞者は時間が経てば後世というものになる。

 見かけはどうあれ、芸術家は霊媒者のように行動する。つまり、時間と空間の向こうにある迷路を抜け、一瞬広がる空地を求めて自らの道を探す霊媒者のように行動するのである。

 それゆえに、もし芸術家に霊媒の特性があると認めるならば、そのとき実の次元では、自分が何を作るのか、あるいはなぜ作るのかを十分意識するという能力が芸術家には欠けているとしなければならない。芸術的作品制作に当たって芸術家が下すどのような決定であれ、それらは直観の領域に留まるのであり、語られるにせよ、書かれるにせよ、たとえ思考されるにせよ、自己分析によっては表現されえないのである。

 T・S・エリオットはエッセー『伝統と個人の才能』 においてこう書く。「芸術家は、苦悩する人間と創造する精神がその芸術家自身のなかで決定的に分離すればするほど、完全となるだろう。しかも精神はますます完壁に、自らの要素たる情熱を吸収し変質していくであろう」と。

 数百万の芸術家が創造するが、鑑賞者によって議論の対象になったり評価されたりする芸術家はわずか数千である。後世から聖別される芸術家はさらにわずかである。

 結局、芸術家は自分には才能があると世間に言いふらすことはできるが、その宣言が社会的価値を持つようになるには、そして最終的に後世が芸術史の教科書にこの芸術家を引用するようになるには、鑑賞者の審判を待たなければならないだろう。

 時間が経ってもこうした見方が多くの芸術家の賛同を得ないことは承知している。彼らはそうした霊媒の役割を拒否し、創造行為にあっても完全に意識していてその意識が妥当であると主張するからである。しかしながら、芸術史によれば、いくどとなく、一作品の価値は芸術家の合理的説明とは全く無縁ないくつもの考察に基づいて評価されてきたのである。

 芸術家が、自分自身と世界全体に対してあらゆる善意に満ち溢れた人間存在としてであれ自分の作品を判断するに当たりいかなる役割も果たさないとするならば、鑑賞者が芸術作品を前にして反応せざるをえないような現象をどのように記述できようか。言い換えれば、こうした反応ほどのように生じるのだろうか。

 この現象は、不活性物質つまり色、ピアノ、大理石等々を横切って進行するという実の浸透によって芸術家が鑑賞者に「転移すること」にたとえられうる。

 しかし、もっと先に進む前に、「(芸術)」という語の解釈を明らかにしたい。もちろん、それを定義しょうとは思わないが。

 私が言いたいのはただ単にこうである。芸術は良いものでも、悪いものでも、あるいはいずれとも無関係なものでありうるのだが、どのような形容語句を用いても、それを芸術と呼ばなければならないのである。悪い芸術でもやはり芸術なのである。悪い感情も感情であるように。

 それゆえ、のちに私が「芸術係数」について話すときでも、やはり当然のことながら、私はこの用語を偉大な芸術との関係において用いるだけではなく、生の状態の芸術作品を良いものとして、悪いものとしてあるいはいずれとも無関係なものとして生み出す主観のメカニスムを描くよう試みるのである。

 創造行為の間、芸術家は意図から始まって、主観そのものの一連の反応を通過して、完成へと向かう。

完成へ至るまでの闘いとは、一連の努力・苦悩・満足・拒否・決心なのであるが、これらは少なくとも美の次元では十分意識されないし、そうされるべきでもない。

 この闘いの結果とは、意図とその実現との差異のことなのだが、この差異は芸術家が決して意識しない差異である。

 実際、創造行為に伴う連鎖反応には、その連鎖の環の一つが欠けている。芸術家が自分の意図を完全に表現できないということを表わすこうした切断が、つまり芸術家が計画していたことと実現したものとのこうした差異が、作品に含まれる個人的「芸術係数」なのである。

 言い換えれば、個人的「芸術係数」とは、「表現されなかったが、計画していたもの」と「意図せず表現されたもの」との間の算術的関係である。

 誤解を避けるために再度言わなければならないのだが、この「芸術係数」とは「生の状態の芸術の」個人的表現なのである。これを鑑賞者は「精製」しなければならない。それはちょうど精糖と純糖との関係である[精糖は砂糖精製過程で副産物として得られるもの]。この芸術係数は鑑賞者の審判にいかなる影響も与えない。

鑑賞者が変質過程に立ち会うと、創造過程は全く別な様相を呈する。不活性物質が芸術作品に変化することによって、本当の実体変化が起きるのであるが、そこで鑑賞者の重要な役割とは実の台秤で作品の重さを量ることなのである。

要するに、芸術家は一人では創造行為を遂行しない。鑑賞者は作品を外部世界に接触させて、その作品を作品たらしめている奥深いものを解読し解釈するのであり、そのことにより鑑賞者固有の仕方で創造過程に参与するのである。こうした参与の仕方は、後世がその決定的な審判を下し何人かの忘れられた芸術家を復権するときに、一層明らかになる。



4-〔1〕の仮定の結果は、〔3〕のメモ「三つの停止原基は縮小されたメートルである」に示されている。このメモが〔l〕とは別の紙片に書かれていたことは、いま述べたさp→qという運動の非連続性を暗示している。だが、われわれはこの結果に達する以前に、条件の《裏》に書かれたもうひとつのメモ〔2〕に注目しなければならない。〔2〕のメモもまた、その内部にp→q(一本の糸から長さの単位の新しい形態へ)を含んでいる。そして、ここで問題にされるのは《一本の糸》から《三つの標本》へという、数の増幅である。《三》という数は、デュシャンにとっては、多数を意味するものであった。ピエール・カバンヌとの対談で、彼は言う。「わたしにとって、三という数は重要なものです。でもそれは秘教的な観点からではなく単に命数法の上でのことです。一、それは(ユニテ)単位〔=統一〕です。二は、ニ重、二元性です。そして三はその全部残りです。あなたが三という語に近づけば、あなたは三百万を得るでしょう。それは三と同じものです」(Pierre Cabanne,《Entretiens avec Marcel Duchamp》,Belfond,1967,Paris,p.81)。三という数はデュシャンの作品、とりわけ《大ガラス》において支配的である。三つの《換気弁》、3×3ニ9人の《独身者たち》、3×3=9回の《射撃の跡》など……。そしてこ,の三という数は、多数性という意味において、デュシャンの偶然性のもうひとつの側面である《不精確な正確さ》と結びつく。『停止原基』を得るための三回の実験は、《ほぼ同じような条件》になるように《ひとつずつ配慮して》行なわなければならない。もちろん、完全に同一な状態を何度も再現することは不可能である。しかし、それはできる限り同一に近いものでなければならない。条件が同一であることによって、はじめて、結果をもたらす道程に働く偶然の作用が際立ち、《偶然の缶詰》Lehasard en conserve(DDS50頁)が可能になるのである。こうして、《不精確な正確さ》をもって反復される実験は、その条件においても、またもたらされる結果においても互いに《近似的な再構成》となるだろう。そして、この実験は、多数回-すなわちデュシャンにとっては三回-反復されることによって、統計学の教える通り、あるひとつのユニテに《接近した》形態を与えることになるだろう。この二重の意味での《近似的な再構成》-その内部における、そして長さの単位に対する-は、このように織りなされた相対性-近似性の故に、ある力を保有している。一回限りの実験で得られた形態が、つまりたったひとつの標本しかないとすれば、それは《メートル原基》にとってかわるもうひとつの絶対的なユニテをもたらすに過ぎないだろう。だが、すでにある絶対的なユニテの周りを、たくさんの『停止原基』が取り巻くとしたら、《肯定のイロニスム》(DDS46頁)。

3というと、中沢新一の「バルセロナ、秘数3」を思い出します。

元の記事


あれはたしか、1980年代の後半でした。ある雑誌の取材で、バルセロナへ行ったんです。バルセロナは、はじめてだったんですが、街に着いたら、とにかく一人で歩いてみました。とてもおもしろい人たちに、出会いました。そのなかのひとりに、有名な古書店のおやじさんがいて、その人と、いろいろな話をしたんです。彼は、バルセロナを象徴する数は「3」なんだという話をはじめました。「3」という数字は、ものすごく重要である。そのおやじさんが話していると、まわりに、だんだんバルセロナの街の人たちが集まってきて、話を聞きながら、みんなお互いに「3」という数についていろいろと、語りはじめたのです。たとえば、バルセロナ市の旗を見てごらん。あれはみっつの色で塗りわけてあるし、しかも、その比率には、非常に絶妙なかたちで「3」という数が組み込んであるんだ。あるいはまた、この街の、どこそこに出かけてごらん。そこには必ず「3」という数字があるだろう?つまり、「3」という数の話をずーっと、聞かされ続けていたわけですね。はじめ、「3」という数ですからこれは、キリスト教でいう「三位一体」の考えかたなのかなぁと思っていたんですね。ところがどうも、そうではないらしい。バルセロナの人びとが「3」という数を重要視してるのは、「2」という数字に対抗してるからだ、というのです。いわく、「2」という数は、とても暴力的で支配的な数だ。人間の世界から生命力を奪っていく数字なんだ、と。それにくらべて「3」という数は、人間の世界に自由と生命力と活力を与えてくれる数字。スペインでは、その「2」と「3」が長いこと激烈な戦いを続けているんだ、と。
デュシャンもスペインにいたのだから、「2」ではなく「3」のカルチャーで思考しているのではないだろうか。

5-デュシャンは、一九一三年に〔1〕〔2〕のメモ通りの実験を行ない、落とされた糸をそのままの形でカンヴァス上にワニスで固定し、さらにガラス板で保護した。彼はまた、その形を木の薄板に写し取って、三本の曲線定規を製作している。そして、これらすべてはクリケットのスティックの箱(レディ・メイド)に収められ、『3つの停止原基』3 Stoppages Étalon(S206,ph lOl,p94)と名付けられた。われわれはこの曲線を、《大ガラスの独身者たちの平面図である『停止原基の網目』、(1918年,S214,ph102,P95)、最後の油絵 Tu m'(1918年,S 253,Ph 124,p114)に見出すことができる。



元の記事 Marcel Duchamp, Network of Stoppages, 1914


元の記事 Marcel Duchamp, Tu m', 1918


6-この『停止原基』は《偶然の罐詰》であると同時に、変形され、《縮小されたメートル》である。デュシャンは後にこう語っている。「一メートルという長さの単位が、そのメートルとしての同一性を実質的に失うことなく、直線から曲線へと移された。それは一点から他の一点に至る最短の経路が直線であるとするような考え方に対して、バタフィジッグな疑問を提出している」(「私自身について」Apropos de moi-méme.DDS225頁)。デュシャンが、非ユークリッド幾何学や四次元空間の問題に強い関心を寄せていたことはよく知られている。二点間の最短経路が直線になるのはユークリッド空間の場合であって、空間自体がある歪みをもっている場合には、たとえば曲面上では測地線が最短距離を与えるように、必ずしもそれは直線とはならない。『停止原基』の曲率は、そのような空間内部の線を二次元のユークリッド平面に変換したものと考えることもできる。あるいは逆に、一本の直線を、ある曲率をもった面に投影しても、やはり、このような形が得られるだろう。この場合には影の曲線の長さが一メートルであれば、もとの直線の長さは一メートルより短いはずである(《縮小されたメートル》?)。そして、さらにタイトルの《ストッバージュ》(=停止装置)を考えあわせれば、それは落下・変形の時間運動をある一時点で切断・停止したものであり、時間の次元もその内部に含まれていることになる。したがって、『停止原基』は、いわば四次元非ユークリッド空間のある断面、ある痕跡なのである。

7-だが、もちろん、われわれは、『停止原基』をいかに(擬似)科学的に説明したところで、それが《バタフィジック》の産物であることを忘れるわけにはいかない。「バタフィジックとは潜在的性質によって表わされた物の特性を、象徴的な形で輪郭にほめこむ想像的解釈の学問である」(A・ジャリ「フォーストロール博士の言行録」,1911年)-『停止原基』を、あるいはデュシャンの創作の特質を、これほど適切に言い表わした言葉はほかにあるまい。デュシャンもまた、もう-人の偉大なバタフィジック学者、《未知の次元の王国》(ibid)の旅行者であったのだろうか。

「集英社世界文学事典」より

「ウリポ」とは、〈ポテンシャル文学工房の略称で、一九六〇年、パリに誕生した文学的実験集団。初代会長は数学者フランソワ・ル・リヨネ。初期の会員はレイモン・クノーなど。 彼らはジャリを教祖とし、その誕生日を紀元元年元旦とする暦と奇妙な位階制度をもつ秘教的遊戯集団(コレージュ・ド・パタフィジック)のメンバーでもあったため、当初〈ウリポ〉には〈コレージュ〉の下部組織との側面があった。 その後、新会員としてジョルジュ・ペレックらが加わり、さらに外国在住の通信会員としてデュシャンやカルヴィーノらも参加、活動はさらに大きく発展、〈コレージュ〉の枠を超えるまでになる。 過去二〇年の報告書としては『ポテンシャル文学図鑑』(八一年。ガリマール社のフォリオ文庫。部分訳は『風の薔薇』5号)〉がある(松島征)。



デュシャンもバタフィジック学者なのでしょう。

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