2008年5月27日火曜日

1914年のボックス 読解(11)


─太陽のなかに徒弟をもつ─



訳注

五線譜に描かれている。左下に、《Marcel Duchamp1914》とサインされている。

1-《太陽のなかに徒弟をもつ》という言葉はそのままの形で『グリーン・ボックス』のなかのメモに現われる。《〔照明用〕ガスから傾斜面に至るまでの改良/「傾斜面」の項目への「註釈」として=写真を撮らせる、太陽のなかに徒弟をもつ》(DDS76貢)。ここでは,この言葉はこのメモのデッサンそのものを指しているように思われるが,確かではない。

2-しかし『グリーン・ボックス』のメモを媒介にしてこのメモと《大ガラス》を結びつけることはできる。その場合は、自転車に乗る男は《独身者》、坂は《大ガラス》の未完成の部分《トボガンの流れの坂》として解釈される可能性がある(A・シュヴアルツ,CW147貢参照)。

3-自転車のスケッチは当然、このメモが書かれる前の年(1913年)の《最初のレディ・メイド》と言われる『自転車の輪』(S205,Ph94,p87)を想い起させるだろう。また、A・ジャリのパタフィジィカルな物語のひとつ『受難を丘のぼり競走にたとえれば』(アンル・プルトン『黒いユーモア選集』下巻、国文社,1969年73-76貢参照)のイメージとの親近性を見出すこともできるだろう。

元の記事 Marcel Duchamp, Avoir l'apprenti dans le soleil [To Have the Apprentice in the Sun], 1914

基本的には、「トボガンの流れの坂」を上る「独身者」ということなのだろう。
A.ジャリの超男性における自転車レースとの関係は強く感じる。

『超男性』には副題がついている。「現代小説」というものだ。 これは、前作の『メッサリーヌ』(1901)に「古代ローマ小説」という副題がついていることを踏襲したジャリの“作法”ともいうべきもので、しかも鬘をつけていたメッサリーヌに“超女性”を演じさせていたのに対照して、『超男性』の主人公アンドレ・マルクイユを現代そのものに仕立ててみたかったという、そういう対応の趣向を暗示した。 しかし、この「現代小説」はそんじょそこらの現代小説ではなかった。なにしろ主人公のアンドレ・マルクイユはつねに競争しつづける機械なのである。最初は5人のサイクリストと1万マイルを競争する。競争者たちには小人や影と列車とも加わった。 次の競争は、リュランスの城の大広間における愛の競争である。マルクイユはエレンとの死闘をくりひろげるが、そこにはまさにスポーツを観戦するかのように、ガラス窓をへだててバティビウス博士、7人の娼婦、怪物のような蓄音機が、目撃者として参加した。 最後の競争は、この現代小説を包みこむ全体としての競争ともいうべきもので、もはやパタフィジックとしかいいようのない愛と機械の競争である。新しい神話としか名づけようのない神学的でエロティックな永久運動そのものがひたすら提示されるのだ。 こういう現代小説は、その後はほとんどあらわれてこなかった。ジャリだけが描きえた文学の近代五種競技であり、言語のトライアスロンなのである
松岡正剛「千夜千冊」『超男性』A.ジャリ より

2008年5月26日月曜日

1914年のボックス 読解(10)


樽遊びはひじょうに美しい巧みさの《彫刻》である。


連続した3回分の成績を(写真によって)記録すること。


そして、《全然入らない場合》やちょうど平均的な場合にくらべて、《全部入った場合》をとくに選んだりしないこと。


訳注

1-《樽遊び》jeu de tonneauとは,『プチ・ロベール』によれば,上部に数をふられた穴があけられている箱(昔は樽が使われた)に金属 の円盤を投げ入れる遊びである。その形はデュシャンのメモの原文に小さなスケッチがる。訳の方には現われていないが,この箱のことを《蛙》grenouille(これは俗語で貯金箱を指す)とも言うらしい。つまり,《全部入った場合》と訳したところは《toutes les pièces dans la grenouille》(すべての繋が蛙のなか)となっている。

2-《巧みさの彫刻》とほいえ,それはメモの後半にあるように《巧み》であることが重要なのではない。うまく穴に入れようとしてあるものは外れてしまうし,あるものは入るだろう。その意図を超えた偶然の作用によって得られる結果がおもしろいのであり,意図と結果とのズレが《ひじょうに美しい》と言われているのである。これは〔1〕〔2〕〔3〕の註3で述べた《芸術係数》という考え方に直接につながっていくものであろう。また、《大ガラス》の《九つの射撃の跡》-おもちゃの大砲にマッチを詰めて,一点を狙って発射し,その結果の通りに穴を九つ開けたもの-もまったく同様の《巧みさ》という意図と偶然との相剋のドラマによってつくり出されている(DDS54頁参照)。このどちらも、穴に関係するわけで、おそらく《九つの射撃の跡》は《棒遊び)の直接的な発展型として考えることが許されよう(この発展においては、辛が大砲という機械に置き換えられていることに注意しなけれはならない)。

3-《風-換気弁のために/巧みさ-穴のために/重さ-停止原基のために》(DDS55貢)-これは『グリーン・ボックス』の中のメモである。いずれも偶然性を生み出す要因あるいは媒体と作品とが対応させられているわけだが,最初に掲げられた《換気弁》ともこの《樽遊び》は強い連関がある。つまり《換気弁》は,《大ガラス》上部の《高所の掲示》あるいは《銀河》と呼ばれる部分に開けられた三つの方形であるが,それはガーゼを吊るして,それが風によって揺れるときの瞬間的な偶然の形を写真によって記録することによって得られるものであり,《樽遊び》の場合の《写真》という記録手段が生かされているのである(DDS55-57貢参照)。




Together with the Draught [Draft] Pistons and the "shots," the Standard Stoppages make up the triplet of chance-controlled deformations used in the Large Glass. The "shots" (nine holes drilled through the glass at positions determined by projecting a paint-dipped match from a toy cannon aimed at a target) are deviations from a point--the target. The Standard Stoppages (chance configurations of three pieces of thread one metre long) are modifications of a line. The shapes of the Draught Pistons were established by photographing a square piece of net moving in a draught--changes wrought in a plane.
[ Richard Hamilton, The Almost Complete Works of Marcel Duchamp, Tate Gallery, Arts Council of Great Britain, London (1966), p. 48. ]

元の記事 Draft Pistons, 1914

4-さて、このように偶然によって時間の要素が導入されることによって、《樽遊び》の三次元的な《彫刻》は四次元的な営為の像となり、それがさらに写真によって二次元の像へと変換させられる。デュシャンは《彫刻》を,常に四次元世界の変換された像と考えるのであり、そうした考え方の上に立って《音の彫刻》や《滴りの彫刻》を構想している。

三次元の物質に時間の要素を加え四次元を考えると、四次元の影としての3次元をさらに写真により二次元の像へ変換させている。デュシャンはさらに四次元の物質の三次元への投影された「影」を「音楽的彫刻」として発展させている。

音楽的彫刻
持続しながら、そしてさまざまな点から出発しながら、そして持続する音響的彫刻をつくる音。
類似した 二つのもの─二つの色、二つのレース、二つの帽子、何らかの二つの形─を識別する可能性を失うこと。ある類似したものから別の類似したものへと記憶痕跡を移すのに十分な視覚記憶の不可能性に達すること。
─複数の音に開音、そして知能[cervelites]に関する可能性さえも。
(GB) 北山訳


エコー。潜在的な音[虚音]
第四次元としての潜在性[虚性]とは、感覚的外観を持つ(現実)ではなく、ある量塊の潜在的表現[代理表象](鏡のなかのその反射に類似した表現)。
(WB)北山訳

2008年5月24日土曜日

1914年のボックス 読解(9)

黄色の世界

ヴォリュームの上あるいは下にヴォリュームの橋、パトー・ムーシュ遊覧船が通るのを見るために



訳注

もとのメモには《黄色の世界》)という言葉の上下にほぼ三本の線が見られる。また《ヴォリュームの上あるいは下に》のなかで《あるいは下に》の部分は後から行間に書き込まれたもののように見える。

1-《黄色の世界》un monde en jauneという言葉は『グリーン・ボックス』のなかのメモに再び現われる(DDS66貢,LG10)。《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも/-農業機械-/-(黄色の世界)-/むしろテクストのなかで/(以下略)》。ただし、二行目と三、四行目とはそれぞれ赤の線で囲まれており、後者にはやはり赤で疑問符が書き込まれ、さらにはそのどちらも黒の鉛筆で斜線が引かれ消されたようになっている。

むしろ「光の世界」との連携を感じる。「光」「灯火」というか「アウワー燈」か?「アウワー燈」に灯された世界というと、「遺作」の方が近いかもしれない。

内部照明

四十五度に達する超太陽光線の代わりに。
内部光源の光の効果 (影と光)を規定すること、すなわちそれぞれの物質は化学組成にあっては燐光」(?)に恵まれており、そっくりと言うわけではないが、ネオン広告のように輝き、完全にではないが、その光はその色彩から独立しているわけではない。-要するに、全体の色のついた外観は、分子ごとに光源を持つ物質の外観となるだろう。
それぞれの部分の物質は光源であると同時に色彩である。言い換えれば、それぞれの部分のむきだしの色彩は、この部分のカラーの可視性の源である(他の部分への反射はない)。
探求すべきところ。各部分の形態(丸み、平板さ)にしたがって「分子の距離」?を配分する手段は。晴い部分(黒い背景)([この括弧ほない]あるいはむしろピクリソ酸性の黄色)から始めること。ユグノー型の頑固さ。タブローの全体は張り子材料でできているようにみえるのは、この表現全体が物理化学法則を少しゆるめることで可能な現実の(鋳型製の)デッサンとなるからである。
(GB)北山訳

「光」を「太陽」と捉えると、1914年のボックスの中の納められた唯一のデッサン「太陽の中に徒弟を」との関係が感じられる。

2-この『グリーン・ボックス』の方のメモを引用しつつ、(黄色の世界)という言葉について、A・シュヴアルツは、「秘教的な伝統においては、黄色という色は金と太陽とを象徴するものであり、さらに太陽は《天啓》を象徴している。そして、天の啓示ということになれば、一般的に金と黄色とは秘伝伝授者の状態を象徴する色である-極東の司祭たちはサフラン色の衣服をまとっている。あらゆる原型がそうであるように、象徴としての黄色もまた両義的である。硫黄は過失にそして悪魔に結びつけられる。そして、それはまた、結婚と姦通の、智恵と裏切りのご対立し合う対と雌雄同体の色でもある」(Arturo Scbwarz,《La Marié mise à nu chez Marcel Duchamp,même》trad.de làrglais en fransais par Anne-Marie Sauzeau-Bootti,ed.Georges Fall.1974,p.38)。と述べ、《黄色の世界》が《大ガラス》のいわば副題としてふさわしいものであると言う。しかし、その後に、彼ほデュシャンとの会話によれば、デュシャンはそうした色彩の《原型的で象徴的な価値》を全く知らなかったということを付け加えている。

3-『ホワイト・ボックス』のなかのメモに色彩について述べたものがあるが、たとえば《色の分類》の項目などでは(DDS112貢)、黄色が最初にきており、しかも《レモン色》から《オレンヂ色》まで他の色に比べれば数多い分類がなされている。それは、おそらくデュシャンの黄色に対する特別な関心を示すものとして受け取ることもできようが、その具体的な連関については不明である。

4-後半部も難しい。《遊覧船》は明らかにセーヌ河の観光船であり、ここには何らかの具体的な風景の反映があるようであるが、また最後の一行は《橋》という言葉からの連想から生まれたユーモアのある「蛇足」とも考えられるだろう。いずれにせよ、問題は《ヴォリューム》である。これを普通の絵画の用語として考えることは全体の文章の調子からいってかなり無理があるだろう。むしろデュシャンの四次元世界への関心を考慮して、三次元のヴォリュームが四次元世界の写像や断面であると,見なすことが適切かもしれない。実際,『ホワイト・ボックス』には、四次元連続体において《面は線のように見られ),《線は点のように見られる》,では《ヴォリュームがどのように見られるかを展開すること》というメモがある(DDS128-141貢参照)。その場合、四次元世界のものは,三次元のヴォリュームが連続した《橋》のようなものと想像されないだろうか(このメモでは《ヴォリュ一ム》は複数形になっている)。そして,その時,その《ヴォリュームの橋》の周囲にも(上にも下にも)同じようなヴォリュームの連続があるであろう。また,そうした観念のもとでは,三次元のヴォリュームである《遊覧船》の時間的な移動は何らかのモデルを与えるものとなり得たかもしれない。

四次元の連続においては、平面は常に一本の線のように見られる。
平面にはもはや透視図法的展開はない。
線は点として見られる。
量塊がどのように見られるのかを展開すること。(こうした全体の知覚を定義すること)四次元の連続において見られる三次元の物体は全体から知覚される
(この物体は、空間において見られる平面のように表と裏を持つのだろうか)
(WB)北山訳

2008年5月22日木曜日

1914年のボックス 読解(8)

─これしかない。雌としては公衆小便所、そしてそれで生きる。─

訳注

1-《On n’a que:pour femelle la pissotiere et on en vit.》-この文章の中心になっている《pissotière》という言葉は、「公衆小便所」という意味の《vespasienne》の俗語である。パリなどの街路に置かれた男性用の公衆便所であり,その形については一九六一年にデュシャンによって書かれたグ.ワッシュの作品『ピエール・ド・マッソのためのアナグラム』(S359,Ph181)が参考になる。なお、題名の通り、この作品の「公衆小便所」にはアナグラムが書きこまれている。《De Ma/Pissotière/J’aperçois/Pierre de Massot》(わたしの/公衆小便所から/わたしは見つける/ピエール・ド・マッソを)。

元の記事 « Matta-Rébus » – « tout à l’égout sont dans la nature », de Duchamp, 1961.

2-シュヴァルツはこのメモを「花嫁の領域から独身者の領域へ」という分類のなかに入れているが、直接的にそうした文脈で読解を行うのはかなり無理だと言わざるを得ない。だが、明らかに「雌」という言葉は「大ガラス」の左上の「雌の縊死体」Pendu femelle へとつながっていくものであろうし、また、例の一九一七年の『泉』(S244,Ph120,P110)において顕在化する男性用小便器と「雌」あるいは性の問題との特徴的な連関(たとえば東野芳野『マルセル・デュシャン』74-77貢を参照)へのひとつの萌芽をここに読み取ることもできるだろう。

Muttというのは、「泉」にサインされた名前のことだが、

あるいは、リンデ風に、「おそらく偶然の一致」をたのしめば、Muttはフロイトがダ・ヴィンチを論じた際に援用したエジプト神話の神無とのことだと思ったとしても一向にさしつかえあるまい。そこではたしか、雌しかいない禿鷹がムト神であったが、男性用便器に雌の神の名という組み合わせから、どんな瞑想にふけろうと、それはあなたの自由である。 (東野)

3-しかし、われわれはまずこのメモを独立させて読まなければならない。そして、ここにデュシャン特有の言語遊戯が隠されていることを指摘しなければならないだろう。幾つかの可能性があるかもしれないが、その最も基本的な部分は、《On n'a que:》を《On a queue》と読み替えることにある。この場合、《queue》は「尻尾」が本義だが、俗語で「男性性器」という意味があり、全体で「雌のために男根をもつ、公衆小便所、そしてそれで生きる」というような別の意味が生まれてくる。〔ほかにも、《on en vit》の部分に《envie》(欲望)という言葉を見出すこともできよう〕

4-われわれの訳、つまり-次的な意味においては,いわば「雌=公衆小便所」という関係が成り立っていた。この水準においては、われわれはこのメモを、たとえば独身者の満たされない欲望の表明として受け取ることができるわけである。しかし、〔2〕で述べたようなこ次的な意味においては、むしろ「男根=公衆小便所」という関係が垣間見られている。そして、それは『ピエール・ド・マッソのためのアナグラム』に見られるような、公衆小便所と男根との形態的な類似によって裏打ちされてもいるのである。こうした両性具有的な在り方、それがある意味での「公衆小便所」そのものの在り方-つまり、男根が露出される場所でもあり、男根から放出される液体を受け取める場所でもあるということ-に呼応していることは言うまでもあるまい。

「泉」との関係が非常に強く感じられる。両性具有、独身者の欲望など、デュシャンらしい、エロティシズムが強く感じられるノートだ。

2008年5月21日水曜日

1914年のボックス 読解(7)

〔見る〕見るのを視ることはできる。聴くのを聴くことはできない。


訳注

1-このメモにはヴァリアントがある。 Sens: On peut voir regarder.Peut-on entendre écouter,sentir humer,etc……?(M.D.)(感覚。/視るのを見ることはできる。聴くのを聞き、嗅ぐのをかぐことができるか?(M.D.))(In Da Costa,《Le Memento Univerel》 fasc.l.Paris 1948./DDS 276頁)-《voir》(視る)と《regarder》(視る)が入れ換っていることに注意したい。

2-デュシャンのメモにしては珍らしく、意味ははっきりしてしくる。視覚の特殊性を訴えたもので、デュシャンの視覚についての様々様な実験や作品(『片限で-時間』S256,Ph127,P117,rステレオスコピー』S258,Pb128,p118,『回転半球』S284, Ph148,P137,『アネミック・シネマ』S289,Ph151,Pl40など)の出発となる命題でもあろう。言うまでもなく彼の《鏡》についての関心もこうした命題に裏打ちされているわけである。 LGによれば、裏側に「1914」と記されている。

元の記事 To Be Looked at (from the Other Side of the Glass) with One Eye, Close to, for Almost an Hour, 1918

前々から片目で見る効果というのが、わからなかった。両目で見るのではなく片目でみることにより、立体化されるという効果があるということのようだ。

ヒトの視覚の特殊性というのは、横に並んだ二つの目が、それぞれ違った映像を感じて、それが脳ミソでかきまぜられて、立体を感じるようになっていることなのだった。
一方、カメラというのは、もともとが片目で見た映像なのである。ファインダーをのぞいていないほうの目を、カメラマンがあけたままであっても、写ってきた写真は片目の映像には違いない。これを両目で見れば、「写真は立体を平面に置き換えたものである」という正論が見えてしまうばかりである。だから、写真を、実物からうける視覚の印象と同じように見ようとするなら、片目で見なければいけないのである。
南伸坊「モンガイカンの美術館」

2008年5月8日木曜日

1914年のボックス 読解(6)

……であるので。もし私が、自分がひどく苦しんでいると仮定するならば……



訳注

1-《Étant donné que…;si je suppose que je sois souffrant beaucoup…》-ジャン・スュケ『花嫁の鏡』(《Miroir de la Mariéé》flammarion,1974,Paris,p.191)によれば、ここに掲げた文章の次に《(énoneer comme un théorème mathématique)》-(数学の定理のように述べる)-という文章が付加されている未完のメモがあるらしい。

2-そこでスュケは、このメモについて次のように述べている。「たった-度だけ、ここで、《私》という言葉が花嫁のメモの中性的な性格をそこねてしまう。告白という圧力がかかっているのである。私はひどく苦しんでいる。私は重態なのだ。生々しい裂傷。そして《大ガラス》はこの傷の結晶化した痕跡であるだろう」(ibid.)。

3-さて、確かにデュシャンの膨大なメモのなかで《私》という言葉が現われるほとんど唯一のメモであるにしても、そこにデュシャン自身の現実的な苦悩を読み、それを《大ガラス》へとげ繋ていくスュケの解釈は多少強引であり、また性急過ぎるように思われる。それよりも、むしろ、スュケ自身が見出したこのメモのヴァリアントの示唆に従って、極めて心理的なまた主観的な内容を、数学におけるような客観的で中性的な叙述の形式によって表現することがここでの中心的な問題であると考えるべきではないだろうか。そして、実際、主観的・心理的な内容を強いて科学的・抽象的な形式で記述することは、デュシャンのメモや作品に広く共通するひとつの特徴であるだろう。

「数学におけるような客観的で中世的な叙述の形式によって表現する」ということを考えると、スピノザのエチカを思い起こす。「すべて普遍的法則によって因果的に連結され、規定される。」ことにより「永遠の法則のみが問題になり、時間的契機は問題でなくなる。」という体系は、デュシャンに通じるものを感じる。

スピノザの幾何学的方法は、この体系的思想そのものに内面的な関係をもつ。デカルト哲学では物体的実体と精神的実体との二種の実体が考えられている。しかし実際には、この両者を超越しこれを根底においてささえている第三の実体として神が考えられていたはずであるが、この思想はデカルトにおいては前面に現れていない。デカルト以後の偶因論においてこの契機が自覚的に展開され、最後にマルブランシュにいたって神はすべての存在を超越しこれを包むものとして、「精神の場所」として理解される。ここに、いっさいを包括する全体的統一的な形而上学的空間が考えられている。スピノザの体系もこの形而上学的空間との関連において理解される。スピノザでは、いっさいの特殊や個体は普遍的全体的な神においてあり、それの様態modiにほかならず、したがってそれ自身において独立に存在する存在でなく、すべて普遍的法則によって因果的に連結され、規定される。根底には空間的神秘主義が予想されている。ここで、主観的、人間中心的な目的論的な方法がすべて排除され、もっぱら客観的、機械論的な方法が要求される。時間的関係は空間的関係に還元され、原因causaは理由ratioにほかならぬことになる。いっさいのできごとは必然的帰結になる。永遠の法則のみが問題になり、時間的契機は問題でなくなる。必然性と永遠性とは同じものになる。真に合理的な認識は人間的感性的な時間的な見方をこえてもっぱら「永遠の相のもとに」見ることにある

下村寅太郎「スピノザとライプニッツ--「天才の世紀」の哲学と社会」、「世界の名著25スピノザ、ライプニッツ」解題、中央公論社、1969年

デュシャンは論理学について、全てはトートロジーと言っている。これは、トートロジーを否定するものではなく、「すべては最初の定理のなかにある」という点が重要であり、デュシャンは常に最初の定理を追い求めていたと思う。但し、「最初の定理」にだけ価値を求めるのではなく、世界は物の現れであり、知覚された現象にすぎないという主観主義でもあった。

マルセル・デュシャン――・・・・あなたはウィーンの論理学者たちの話を知っていますか?
カバンヌ――いいえ
マルセル・デュシャン――ウィーンの論理学者はある体系を練り上げたわけですが、それによれば、私が理解した限りでは、すべてトートロジー、つまり前提の反復なのです。数学では、きわめて単純な定理から複雑な定理へといくわけですが、すべては最初の定理のなかにあるのです。ですから、形而上学はトートロジー、宗教もトートロジー、すべてはトートロジーです。このブラックコーヒーを除いて。なぜなら、ここには感覚の支配がありますから。眼がブラックコーヒーを見ている。感覚器官のコントロールが働いています。これは真実です。ほかの残りは、いつもトートロジーです。

M.デュシャン、P.カバンヌ『デュシャンの世界』朝日出版社


4-このメモの冒頭の《Étant donné》という言い方は、遺作の『(1)水の落下(2)照明用ガス、が与えられたとすれば』Étant donné:1 lachuted’eau,2 le gaz d’ éclairage.にも使われているものであり、東野芳明氏が説明しているように(『マルセル・デュシャン』21-22貢)、数学などの記述に用いられることも多い。いずれにせよ、「……が与えられたとすれば(……が与えられているので)」というような既定条件を示すものとして〔1〕〔2〕〔3〕の註で述べたような(P→ )にあたる論理的な構造を喚起するものである。なお、《Étant donné que…;》と接続詞《que》のあとの文章が省略されているわけだが、この《que》を〔10〕の註3と同じように《queue》と読み替えて「男根があるので……」といったような卑俗な解釈をする可能性もないわけではない。

なお、この奇妙な題のÉtant Donnés-英訳、Given-という表現は、数学で使われるいいかたで、Étant donnés deux points
といえば、「二点が与えられたとせよという意味になり、デュシャンの数学的な関心がここにもあらわれている。p.21-22

デュシャンの数学への関心について、瀧口修造氏が、デュシャンの使う言葉が当時のポアンカレなどの数学者と関係がある、と示唆してくださったことがあった。p.56 

東野芳明『マルセル・デュシャン』

2008年5月7日水曜日

1914年のボックス 読解(5)

電気を横に

《芸術における》電気の唯一可能な利用。



訳注

1-《電気を横に》-原文は《L'éléctricitéen large》、A・シュヴアルツの英訳では《Electricity widthwise》である。言うまでもなく、「照明を横に置く」というような類いの意味ではない。とはいえ、また何か電気の具体的な利用法がここに告知されているわけでもない。

2-単純に考えてみても、芸術において電気の利用の仕方がひとつしか可能でないということはあるまい。デュシャン自身にしても『回転半球』などにおけるモーター、あるいは《遺作》の内部の照明や滝の仕掛け(「ビスケットの罐の側面にたくさん穴をあけ、これが滑る仕掛けになっている。内部の電球の光が穴を通して点滅し、滝の部分には綿の糸がつるしてあって、いかにも滝が落ちているように見える」-東野芳明『マルセル・デュシャン』60貢)などいろいろな利用の仕方をしている。

デュシャンは、芸術に科学との接点を常に求めていたと思う。四次元の取り込み等が最たるものであるが、根が同じものを感じていたのではないかと思う。この辺は、ドゥルーズの哲学-芸術-科学の関係について述べた論文等が参考になるかもしれない。

3-とすれば、明らかにこの《電気》は、ある種の観念のレベルで考えられているものと見なすことができる。そして、その場合は、たとえば『グリーン・ボックス』の多くのメモが語っているような《大ガラス》における《花嫁》と《独身者たち》の電気的な関係や《花嫁》の電気的な裸体化の運動(《開花》)、また〔6〕のメモに見られるような(《電話による食糧供給》)孤立化した要素間の電気による結びつきなど、関係や運動、欲望などのモデルとして《電気》が利用されていることに注目すべきであろう。また、そうした文脈の延長で、Cola alités(1959年,S 351,Ph 176,P161)に描かれた電線と電信柱のデッサンもこのメモの一レフェランスとして考えられるべきかもしれない。

欲望のモデルとしての《電気》の利用について述べられている。ここでもドゥルーズの欲望機械の連接を考えてみる必要がある。

元の記事 Marcel Duchamp, Bedridden Mountains, 1959

(大ガラス)と(遺作)をつなぐものは、「Cols alités」(注。『(彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも)の一九五九年モデルのためのプロジェクト』という副題がある)という一九五九年のデッサンである。このデッサンは、(大ガラス)そのままだが、中央部分にたいへん微細で、ほとんど見えない線で山のスケッチが描き加えてある。そして右端、(チョコレート磨砕器)の右に、まるで(鉄)の刃のひとつがのびたかのように、デュシャンは電線と碍子のある電信柱を措いた。『グリーン・ボックス』のメモのひとつによれば、(花嫁)と(独身者)の間のコミュニケーションは電気的であるとされているが、この一九五九年のデッサンにおいて、この考えが電信柱と電線という直接で物質的な形で表現されているのだ (もっとも、この考えは、むしろ思考の、見ることの、あるいは欲望の電気的性質という比喩と思われるのだが)。したがって、ここには電気的性質の二つのイメージ、つまり、物質的エネルギーと精神的エネルギーがある。デッサンの題名によって、デュシャンは、山の起伏のある風景は帳(Cols)で構成されているが、しかし、その路は床に伏して、危焦(alités)といぅことを暗示する。つまり、この道はほとんど通行不可能なのであり、(独身者)の領域と(花嫁)の領域の間のコミュニケーションは容易でない、ということである。(遺作)にあっては、木々のある山の風景が、ほとんど手にとれるほどの現実味をもっているという事実にもかかわらず、コミュニケーションはもっと困難ですらある。いや、たぶん、その事実のゆえにこそ、困難なのだというべきか。なぜなら、われわれはここで、〈目だまし絵)の欺肺的な現実味を前にしているのだから。最後にこの題名が〈大ガラス)と(遺作)の観念を実現している法則を暗示している。つまり、反語的な因果関係である。Causalité(因果関係)→Cols
Alité(病床の峠)という言葉遊び。言葉の響きのわずかなふくらみを通して、われわれは、山のけわしい道から、偶然と必然が互いに会話をかわす世界へと赴くのである。知識とは、言語の病なのだ。

オクタビオ・パス 「マルセル・デュシャン、あるいは純粋の城」 宮川淳訳

4-最後に、これも-種の言語遊戯だが、《L'éléctricité en large》の音のなかに《L'éléctricité en l'art》(芸術における電気)が隠されていることを指摘しておこう。

2008年5月6日火曜日

1914年のボックス 読解(4)

引き離し義務兵役反対。

手足や心臓やその他の解剖学上の部分を《引き離すこと》。

各兵士はもはや制服を着ることができず、心臓は引き離された腕などに、電話で食糧供給をする。

そして食糧供給がなくなると、《引き離されたもの》はそれぞれ孤立する。

最後には、引き離されたものから引き離されたものへの哀惜の統制。


訳注

1-このメモは、このボックスのなかではかなり異色なものであろう。というのも、『グリーン・ボックス』のメモに多く見られるような一種の物語の構造がここには見出されるからである。 ⓐ-義務兵役に反対するために、 ⓑ-身体の各部分を引き離す。 ⓒ-制服を着られなくなる。 ⓓ-引き離され過ぎて、電話で食糧共給をしなければならない。 ⓔ-さらに引き離されて、連絡が途絶え、孤立する。 ⓕ-哀惜の統制が布かれる。物語とはいえ、これらのあいだが現実的な論理によって結ばれているのではなく、あるいは「風が吹けば、桶屋が…‥・」を想い出させかねないデュシャン独自の《皮肉な因果性》によって展開させられていることは明らかだろう。

2-だが、われわれはこのメモから何を読み取るべきなのだろうか?-たとえば《義務兵役反対》ということから、われわれは容易にデュシャン自身のエピソード、つまり一九〇五年、徴兵の法制度が変わる前に旧法の徴兵年期短縮の特権に浴するために、ルーアンの印刷工のところに住み込み、技芸工の資格を取って、徴兵年期を一年で済ませたという彼のエピソード(Pierre Cabanne ibid. p.26-27参照)を想い起すことができる。

1918年10月に兄レーモンは戦死したが、兄との間の連絡手段としての電話がつながらなくなった時の孤立感のようなものを感じる。

-また、《制服》は、不可避的に《大ガラス》の《独身者たち》の部分と関連しそのひとつのレフェランスとなることによって、独立した問題を提起するだろう。これに関しては、東野芳明『マルセル・デュシャン』の第四章「空っぽの制服たち」に詳細な論述がある。

製服を拒否する方法は、デュシャンが一九一四年のメモでユーモラスに書いているように「手足ヲ一本ズツ 心臓 ソノ他解剖学上ノ単位ヲバラバラニ”引キ離スコト””」である。そうすれば、「兵士ハモハヤ制服ヲ着ルコトガデキ」ないのだ。

東野芳明「マルセル・デュシャン」、(美術出版社,1977)p.151

制服は、社会的地位をあらわしている。

-さらには、A・シュヴアルツは、このメモを《独身者たち》の《去勢》という文脈で読解している(A.Scbwarz.《Qu'y a-t-il dans un mot?》, in《Opus International》49.ed.Georges Fall,1974,Paris,p.36)。

3-これ以上にわれわれが付け加え得ることは少ない。が、まず第一に、このメモにおいては、個人の身体corpsとあるひとつの軍団corps d’arméeとが重なり合ったイメージがつくられていることを指摘したい。物語のⓐⓑⓒは前者の、ⓓⓔⓕは後者のイメージが強く出ている。両者のレベルが意図的に混ぜ合わされているわけだが、いずれにせよ、《制服》に象徴されるような統一性や、また身体一の有機的な全体性や自己同一性に対する反対原理が語られていることは明らかだろう。そしてそれが《心臓が電話で食糧供給する》というような機械論的なイメージに結び付いていくところは、デュシャンにおける機械への思考の発生的な在り方を示しているようで興味深いものがある。だが、それでは最後の《哀惜の統制》Réglem entation des regrets とは何か?

-これについては、リオタールは《哀惜》の両義的な在り方、つまり一方では孤立したもの同士の関係(独身者のあいだの関係)として《離隔異化》dissimilationのカテゴリーに属するものでありながら、他方では、各《引き離されたもの》の完全な分散を遅らせ、それらをつなぎとめているものとして《離隔異化》とは反対のカテゴリーに属するものでもあるということを指摘している(《Les Transformateur Duchamp》ibid.p.69-71.)。

2008年5月3日土曜日

1914年のボックス 読解(3)

幸福な、または不幸な(好運な、または不運な)偶然のタブロオをつくる。

訳注

1-原文は、《Faire un tableau:de hasard heureux ou malheureux(veine ou déveine)》であり、《Faire un tableau》のあとにコロンが入っている(DDSではこのコロンが脱落している-このように細かな所ではDDSはかなりいい加減であり、注意を要する)。コロンの有無によって意味が大幅に変るわけでもないが、ニュアンスとしては《タブロオ》と《偶然》とのあいだに距離が生まれ、《偶然のタブロオ》という具体的なものをつくるというよりも、《タブロオをつくる》という行為に様々な偶然が介入するというように、多少の一般性を文章全体が滞びてくる。

「偶然のタブロウをつくる」よりタブロウをつくる行為に偶然が介入し、タブロウが幸運、不運となると考えたほうが確かにしっくりする。

潜在性が時-空間の中で現実化され、タブロウとなっても、真の評価は潜在性に対しするものであり、現実化されたタブロウの評価は、真の評価ではないだろう。

2-《‥…をつくる》というメモは、このボックスの〔16〕〔17〕、また『グリーン・ボックス』の《病気のタブロオまたは病気のレディ・メイドをつくる)(DDS49貫)などほかにも多くある。何気ない文章ではあるが、しかしこうしたメモに現われるデュシャンの発想がいわゆる伝統的な画家の発想とまったく隔絶していることは、あらためて指摘しておかなければならないだろう。《タブロオをつくる》とはいえ、それは絵画の対象にも、主題にも、方法にすらも拘束されてはいない。むしろ、これは、そこでは《タブロオ》という概念が根底から揺り動かされ、破壊されかねないような思考の顕われなのであり、そうしたある種のイデー観念が問題になっているのである。

3-すでに〔1〕〔2〕〔3〕のメモが明らかにしていたように、《偶然)を作品のなかに導入することにデュシャンは大きな関心をもっていた。『停止原基』に関連しつつ、デュシャンは次のように言う。「偶然というイデー、その当時多くの人々がそれについて考えていたのですが、わたしもまた例にもれずそれに強く刺激されました。その意図というのは、とりわけ手を忘れることにあったのです。つまり、結局はあなたの手にしても、それは偶然なのですから。論理的な現実性に対抗する手段として、純粋な偶然にわたしは興味を惹かれたのです」(Pierre Cabanne.《Entretiens avec Marcel Duchamp》.ibid,p.81)。このように、少くとも《偶然》はここでは、画家の《手》(スタイル、個性)によって支えられていた《タブロオ》という概念へのひとつのアンチ・テーゼとして考えられているのである。

4-《幸福な、または 不幸な偶然》に関しては、たとえばアユノス・アイレスにいたデュシャンがパリの結婚した妹シュザンヌに手紙で指示し、彼女がバルコニーに雨ざらしにして得られた幾何学の教科書のレディ・メイドが『マルセルの不幸なレディ・メイド』と呼ばれている(1919年,S260,Ph130,P120)。

元の記事 Unhappy Readymade The Box in a Valise version

それは幾何学の教科書で、彼女はそれをラ・コンダミヌ街の彼女のアパートのバルコニーに、紐でぶらさげておかなければならなかったのです。風が本をめくり、自分で問題を選んで、ページをむしり、引きちぎっていくはずでした。

マルセル・デュシャン,ピエール・カバンヌ (岩佐鉄男、小林康夫訳):「デュシャンは語る」、(筑摩書房,1999)123頁

1914年のボックス 読解(2)

ばんざい! 洋服とラケットおさえ


訳注

DDSによれば(36頁)、このメモは封緘葉書の断片に書かれている。LGのファクシミリを見ると、この下にさらに文章が続いていたように思われるが、破り取られて、残りは失われている。

1-「ラケットおさえ」は、テニスラケットの形を整えておくためのものだが、フランスではⅩ字型のものが多く使われているという。

2-デュシャンとテニスとの関係について、われわれが知っているのは、僅かに妹シュザンヌがテニスをしているところを描いた最初期のスケッチ(1902年,P2)だけである。

3-「洋服」という問題は、「大ガラス」のなかの「制服」の問題はおくとしても、デュシャンの作品中の幾つかのものと関連する。洋服そのものをモティーフにした『ジャケット』1956年,S339,Ph172)、『チョッキ』(1958年,S342,Pb173,P159)などがある。



元の記事 Waistcoat Replica, 1958 (Collection Arturo Schwarz) 



4-さて、「洋服」と「ラケットおさえ」とのあいだにどのような関係が考えられるだろうか。こうした謎のような問いに答えることはほとんど不可能に近いが、敢えて言えば、「ラケットおさえ」ほ、ラケットが使われていない時に、つまり本来の動的な在り方から離れている時に、ラケットに一定の形を押しつけておくものであり、また他方「洋服」も、ある意味では同様に、人間の本来の動的な在り方を束縛し、人間に社会的な一定の型を押しつける役目を果しているものである(その極端な例が制服だろう)。『階段を降りる裸体』(S181, Ph72,P64)に顕著に見られるようなデュシャンにおける裸体と運動との密接な結び付きを考慮すれば、こうした解釈の方向、すなわち文章全体をイロニーとして考えることも許されよう。

「ラケットおさえ」は、確かに何を指しているかわからないが、「秘めた音で」との関係について、以下に述べられている。

With Secret Noise borrows its material of tight strings and unmeasurable
chords
from the "presse raquette." The Green
Box describes this object as
a "Tirelire ou (conserves)...": another
lyre, a tirelire, a
pull-lyre or pull-read. Did it also come from the conservatory?

[ Carol P. James,"Duchamp's Silent Noise/Music for the Deaf," in Kuenzli and Naumann, eds., Marcel
Duchamp: Artist of the Century, MIT Press, Cambridge (1989), p. 106. James
translates Duchamp's original phrase:"Long live clothes and the racket press!"
p. 124, note 44. ]




元の記事 With Hidden Noise Original version, 1916

私は1926年の復活祭のときに、三つのレディ・メイドをつくりましたが、失くしてしまいました。三つのうちのひとつがアレンスバーグのところに残っています。彼は二枚の板のネジをはずして、なかに何か入れました。もう一度ネジを締めると、音がするようになった・・・・・・。なかに何がはいっているのか、私は全然知りません。その音は私にとって秘密なのです。

マルセル・デュシャン,ピエール・カバンヌ (岩佐鉄男、小林康夫訳):「デュシャンは語る」、(筑摩書房,1999)107頁

2008年5月1日木曜日

1914年のボックス 読解(1)

製作の理念

-もし、1メートルの長さの水平でまっすぐな糸が、1メートルの高さから水平面上に自由に形を変えながら落下し、長さの単位の新しい形態を与えるとすれば-。

-ほぼ同じような条件のもと、つまりひとつずつ配慮して得られた3つの標本は、長さの単位の近似的な再構成である。3つの停止原基は縮小されたメートルである。



訳注

1-DDSによれば、〔1〕と〔2〕のメモは1枚の方眼紙の表裏に書かれている。〔3〕は別の紙片であるが、ボックスの写真コピーでは〔1〕と〔2〕と合わせて一枚の台紙にまとめられた。ただしシュヴェルツの記述(CW.584頁によれば、オリジナルのボックスでは〔1〕〔2〕と〔3〕は別の台紙に粘られている。

2-この三つのメモのうち〔1〕だけがまったく同じ形で『グリーン・ボッグス』に再録されている(LG97,DDS50頁)。

3-〔l〕はA.《Si un fil droit horizontal・・・tombe…et donne…》と条件節だけで終っている。この文章は、B.《Si un fil…tombe,il doune…》(もし1mの長さの水平でまっすぐな糸が、1mの高さやら水平面上に自由に形を変えながら落下すれば、それは長さの単位の新しい形態を与える)となっている方が自然であろう。だが、リオタールも指摘しているように(《Les trasformateurs Duchamp》,p64-109)「pならばqである」という命題の条件節「pならば」だけを言って、その帰結「qである」を言わないのは、デュシャンのメモに特徴的な語法である。同様の例は〔8〕のメモにも見られるし、さらに《遺作》のタイトルにも使われている。「pならばqである」という運動(p→q)は、ひとつの因果関係を示している。しかしデュシャンにとって、この運動は論理的必然性をもつものではない。むしろそれは《皮肉な因果関係》、偶然性によって支配されているのである。彼は別のところで、《意図したが表現されないもの》と《意図せずに表現されるもの》とのあいだの《芸術係数》という考えを表明しているが(「創造的プロセス」,DDS 189頁)、ここでも明らかなように、pという条件が与えられた時点では、qはあくまでも可能性の領域にとどまっており、最終的にある結果が得られたとしても、それはpとは別の時点での出来事であって、pとqとのあいだには何らかのズレが予想されるのである。そしてまた、われわれは(p→qという運動が、デュシャンにおいては、一個の独立した関係として把えられているというより、むしろ絶え間ない関係の増殖、重合のひとつの環としてある、ということに注意すべきかもしれない。すなわち〔l〕のメモの原文Aは、すでに述べたようにBという構造(p→q)をそのうちに含んでいた。つまり、いわばP →(Q) :Aのレベル  p→q :Bのレベルというような関係、あるいはp→q :Bのレベル  q→ ─── p  → :Aのレベルというような関係がそこには働いているように思われるのである。そして、そのことによってデュシャンの思考は決してひとつの命題には還元し得ない無限の戯れを生きることになるだろう。


「創造的プロセス」

一九五七年四月ヒューストン(テキサス州)でのアメリカ芸術連盟の集会において、マルセル・デュシャンが口頭で報告したもののテクスト。ここでの円卓会議〔一種のシンポジウ〕は、ウィリアム・W・サイツ(プリンストン大学)、ルドルフ・アーンハイム(サラ・ローレンス・カレッジ)、人類学者のグレゴリー・ベイトソンそして「哀れな芸術家」マルセル・デュシャンからなる。原文は英語で、『アーツ・ナウ』(一九五七年夏、ニューヨーク、第五六巻四号)に掲載された。フランス語への翻訳はマルセル・デュシャンによる。


 まず初めに二つの重要な要因を、つまり芸術分野のあらゆる創造の二つの極を考察してみよう。ここで言う二つの極の一方は、芸術家であり、他方は鑑賞者である。鑑賞者は時間が経てば後世というものになる。

 見かけはどうあれ、芸術家は霊媒者のように行動する。つまり、時間と空間の向こうにある迷路を抜け、一瞬広がる空地を求めて自らの道を探す霊媒者のように行動するのである。

 それゆえに、もし芸術家に霊媒の特性があると認めるならば、そのとき実の次元では、自分が何を作るのか、あるいはなぜ作るのかを十分意識するという能力が芸術家には欠けているとしなければならない。芸術的作品制作に当たって芸術家が下すどのような決定であれ、それらは直観の領域に留まるのであり、語られるにせよ、書かれるにせよ、たとえ思考されるにせよ、自己分析によっては表現されえないのである。

 T・S・エリオットはエッセー『伝統と個人の才能』 においてこう書く。「芸術家は、苦悩する人間と創造する精神がその芸術家自身のなかで決定的に分離すればするほど、完全となるだろう。しかも精神はますます完壁に、自らの要素たる情熱を吸収し変質していくであろう」と。

 数百万の芸術家が創造するが、鑑賞者によって議論の対象になったり評価されたりする芸術家はわずか数千である。後世から聖別される芸術家はさらにわずかである。

 結局、芸術家は自分には才能があると世間に言いふらすことはできるが、その宣言が社会的価値を持つようになるには、そして最終的に後世が芸術史の教科書にこの芸術家を引用するようになるには、鑑賞者の審判を待たなければならないだろう。

 時間が経ってもこうした見方が多くの芸術家の賛同を得ないことは承知している。彼らはそうした霊媒の役割を拒否し、創造行為にあっても完全に意識していてその意識が妥当であると主張するからである。しかしながら、芸術史によれば、いくどとなく、一作品の価値は芸術家の合理的説明とは全く無縁ないくつもの考察に基づいて評価されてきたのである。

 芸術家が、自分自身と世界全体に対してあらゆる善意に満ち溢れた人間存在としてであれ自分の作品を判断するに当たりいかなる役割も果たさないとするならば、鑑賞者が芸術作品を前にして反応せざるをえないような現象をどのように記述できようか。言い換えれば、こうした反応ほどのように生じるのだろうか。

 この現象は、不活性物質つまり色、ピアノ、大理石等々を横切って進行するという実の浸透によって芸術家が鑑賞者に「転移すること」にたとえられうる。

 しかし、もっと先に進む前に、「(芸術)」という語の解釈を明らかにしたい。もちろん、それを定義しょうとは思わないが。

 私が言いたいのはただ単にこうである。芸術は良いものでも、悪いものでも、あるいはいずれとも無関係なものでありうるのだが、どのような形容語句を用いても、それを芸術と呼ばなければならないのである。悪い芸術でもやはり芸術なのである。悪い感情も感情であるように。

 それゆえ、のちに私が「芸術係数」について話すときでも、やはり当然のことながら、私はこの用語を偉大な芸術との関係において用いるだけではなく、生の状態の芸術作品を良いものとして、悪いものとしてあるいはいずれとも無関係なものとして生み出す主観のメカニスムを描くよう試みるのである。

 創造行為の間、芸術家は意図から始まって、主観そのものの一連の反応を通過して、完成へと向かう。

完成へ至るまでの闘いとは、一連の努力・苦悩・満足・拒否・決心なのであるが、これらは少なくとも美の次元では十分意識されないし、そうされるべきでもない。

 この闘いの結果とは、意図とその実現との差異のことなのだが、この差異は芸術家が決して意識しない差異である。

 実際、創造行為に伴う連鎖反応には、その連鎖の環の一つが欠けている。芸術家が自分の意図を完全に表現できないということを表わすこうした切断が、つまり芸術家が計画していたことと実現したものとのこうした差異が、作品に含まれる個人的「芸術係数」なのである。

 言い換えれば、個人的「芸術係数」とは、「表現されなかったが、計画していたもの」と「意図せず表現されたもの」との間の算術的関係である。

 誤解を避けるために再度言わなければならないのだが、この「芸術係数」とは「生の状態の芸術の」個人的表現なのである。これを鑑賞者は「精製」しなければならない。それはちょうど精糖と純糖との関係である[精糖は砂糖精製過程で副産物として得られるもの]。この芸術係数は鑑賞者の審判にいかなる影響も与えない。

鑑賞者が変質過程に立ち会うと、創造過程は全く別な様相を呈する。不活性物質が芸術作品に変化することによって、本当の実体変化が起きるのであるが、そこで鑑賞者の重要な役割とは実の台秤で作品の重さを量ることなのである。

要するに、芸術家は一人では創造行為を遂行しない。鑑賞者は作品を外部世界に接触させて、その作品を作品たらしめている奥深いものを解読し解釈するのであり、そのことにより鑑賞者固有の仕方で創造過程に参与するのである。こうした参与の仕方は、後世がその決定的な審判を下し何人かの忘れられた芸術家を復権するときに、一層明らかになる。



4-〔1〕の仮定の結果は、〔3〕のメモ「三つの停止原基は縮小されたメートルである」に示されている。このメモが〔l〕とは別の紙片に書かれていたことは、いま述べたさp→qという運動の非連続性を暗示している。だが、われわれはこの結果に達する以前に、条件の《裏》に書かれたもうひとつのメモ〔2〕に注目しなければならない。〔2〕のメモもまた、その内部にp→q(一本の糸から長さの単位の新しい形態へ)を含んでいる。そして、ここで問題にされるのは《一本の糸》から《三つの標本》へという、数の増幅である。《三》という数は、デュシャンにとっては、多数を意味するものであった。ピエール・カバンヌとの対談で、彼は言う。「わたしにとって、三という数は重要なものです。でもそれは秘教的な観点からではなく単に命数法の上でのことです。一、それは(ユニテ)単位〔=統一〕です。二は、ニ重、二元性です。そして三はその全部残りです。あなたが三という語に近づけば、あなたは三百万を得るでしょう。それは三と同じものです」(Pierre Cabanne,《Entretiens avec Marcel Duchamp》,Belfond,1967,Paris,p.81)。三という数はデュシャンの作品、とりわけ《大ガラス》において支配的である。三つの《換気弁》、3×3ニ9人の《独身者たち》、3×3=9回の《射撃の跡》など……。そしてこ,の三という数は、多数性という意味において、デュシャンの偶然性のもうひとつの側面である《不精確な正確さ》と結びつく。『停止原基』を得るための三回の実験は、《ほぼ同じような条件》になるように《ひとつずつ配慮して》行なわなければならない。もちろん、完全に同一な状態を何度も再現することは不可能である。しかし、それはできる限り同一に近いものでなければならない。条件が同一であることによって、はじめて、結果をもたらす道程に働く偶然の作用が際立ち、《偶然の缶詰》Lehasard en conserve(DDS50頁)が可能になるのである。こうして、《不精確な正確さ》をもって反復される実験は、その条件においても、またもたらされる結果においても互いに《近似的な再構成》となるだろう。そして、この実験は、多数回-すなわちデュシャンにとっては三回-反復されることによって、統計学の教える通り、あるひとつのユニテに《接近した》形態を与えることになるだろう。この二重の意味での《近似的な再構成》-その内部における、そして長さの単位に対する-は、このように織りなされた相対性-近似性の故に、ある力を保有している。一回限りの実験で得られた形態が、つまりたったひとつの標本しかないとすれば、それは《メートル原基》にとってかわるもうひとつの絶対的なユニテをもたらすに過ぎないだろう。だが、すでにある絶対的なユニテの周りを、たくさんの『停止原基』が取り巻くとしたら、《肯定のイロニスム》(DDS46頁)。

3というと、中沢新一の「バルセロナ、秘数3」を思い出します。

元の記事


あれはたしか、1980年代の後半でした。ある雑誌の取材で、バルセロナへ行ったんです。バルセロナは、はじめてだったんですが、街に着いたら、とにかく一人で歩いてみました。とてもおもしろい人たちに、出会いました。そのなかのひとりに、有名な古書店のおやじさんがいて、その人と、いろいろな話をしたんです。彼は、バルセロナを象徴する数は「3」なんだという話をはじめました。「3」という数字は、ものすごく重要である。そのおやじさんが話していると、まわりに、だんだんバルセロナの街の人たちが集まってきて、話を聞きながら、みんなお互いに「3」という数についていろいろと、語りはじめたのです。たとえば、バルセロナ市の旗を見てごらん。あれはみっつの色で塗りわけてあるし、しかも、その比率には、非常に絶妙なかたちで「3」という数が組み込んであるんだ。あるいはまた、この街の、どこそこに出かけてごらん。そこには必ず「3」という数字があるだろう?つまり、「3」という数の話をずーっと、聞かされ続けていたわけですね。はじめ、「3」という数ですからこれは、キリスト教でいう「三位一体」の考えかたなのかなぁと思っていたんですね。ところがどうも、そうではないらしい。バルセロナの人びとが「3」という数を重要視してるのは、「2」という数字に対抗してるからだ、というのです。いわく、「2」という数は、とても暴力的で支配的な数だ。人間の世界から生命力を奪っていく数字なんだ、と。それにくらべて「3」という数は、人間の世界に自由と生命力と活力を与えてくれる数字。スペインでは、その「2」と「3」が長いこと激烈な戦いを続けているんだ、と。
デュシャンもスペインにいたのだから、「2」ではなく「3」のカルチャーで思考しているのではないだろうか。

5-デュシャンは、一九一三年に〔1〕〔2〕のメモ通りの実験を行ない、落とされた糸をそのままの形でカンヴァス上にワニスで固定し、さらにガラス板で保護した。彼はまた、その形を木の薄板に写し取って、三本の曲線定規を製作している。そして、これらすべてはクリケットのスティックの箱(レディ・メイド)に収められ、『3つの停止原基』3 Stoppages Étalon(S206,ph lOl,p94)と名付けられた。われわれはこの曲線を、《大ガラスの独身者たちの平面図である『停止原基の網目』、(1918年,S214,ph102,P95)、最後の油絵 Tu m'(1918年,S 253,Ph 124,p114)に見出すことができる。



元の記事 Marcel Duchamp, Network of Stoppages, 1914


元の記事 Marcel Duchamp, Tu m', 1918


6-この『停止原基』は《偶然の罐詰》であると同時に、変形され、《縮小されたメートル》である。デュシャンは後にこう語っている。「一メートルという長さの単位が、そのメートルとしての同一性を実質的に失うことなく、直線から曲線へと移された。それは一点から他の一点に至る最短の経路が直線であるとするような考え方に対して、バタフィジッグな疑問を提出している」(「私自身について」Apropos de moi-méme.DDS225頁)。デュシャンが、非ユークリッド幾何学や四次元空間の問題に強い関心を寄せていたことはよく知られている。二点間の最短経路が直線になるのはユークリッド空間の場合であって、空間自体がある歪みをもっている場合には、たとえば曲面上では測地線が最短距離を与えるように、必ずしもそれは直線とはならない。『停止原基』の曲率は、そのような空間内部の線を二次元のユークリッド平面に変換したものと考えることもできる。あるいは逆に、一本の直線を、ある曲率をもった面に投影しても、やはり、このような形が得られるだろう。この場合には影の曲線の長さが一メートルであれば、もとの直線の長さは一メートルより短いはずである(《縮小されたメートル》?)。そして、さらにタイトルの《ストッバージュ》(=停止装置)を考えあわせれば、それは落下・変形の時間運動をある一時点で切断・停止したものであり、時間の次元もその内部に含まれていることになる。したがって、『停止原基』は、いわば四次元非ユークリッド空間のある断面、ある痕跡なのである。

7-だが、もちろん、われわれは、『停止原基』をいかに(擬似)科学的に説明したところで、それが《バタフィジック》の産物であることを忘れるわけにはいかない。「バタフィジックとは潜在的性質によって表わされた物の特性を、象徴的な形で輪郭にほめこむ想像的解釈の学問である」(A・ジャリ「フォーストロール博士の言行録」,1911年)-『停止原基』を、あるいはデュシャンの創作の特質を、これほど適切に言い表わした言葉はほかにあるまい。デュシャンもまた、もう-人の偉大なバタフィジック学者、《未知の次元の王国》(ibid)の旅行者であったのだろうか。

「集英社世界文学事典」より

「ウリポ」とは、〈ポテンシャル文学工房の略称で、一九六〇年、パリに誕生した文学的実験集団。初代会長は数学者フランソワ・ル・リヨネ。初期の会員はレイモン・クノーなど。 彼らはジャリを教祖とし、その誕生日を紀元元年元旦とする暦と奇妙な位階制度をもつ秘教的遊戯集団(コレージュ・ド・パタフィジック)のメンバーでもあったため、当初〈ウリポ〉には〈コレージュ〉の下部組織との側面があった。 その後、新会員としてジョルジュ・ペレックらが加わり、さらに外国在住の通信会員としてデュシャンやカルヴィーノらも参加、活動はさらに大きく発展、〈コレージュ〉の枠を超えるまでになる。 過去二〇年の報告書としては『ポテンシャル文学図鑑』(八一年。ガリマール社のフォリオ文庫。部分訳は『風の薔薇』5号)〉がある(松島征)。



デュシャンもバタフィジック学者なのでしょう。

1914年のボックス 読解(序)


1914年のボックス 《一九一四年のボックス》読解文序 一九一四年、デュシャンは自筆のメモ類を写真によって複製し、ボール紙の箱に入れたものを3部だけ作り、パリで《出版》した。二十年後の『グリーン.・ボックス』の試作品とも言うべきこのメモ集は、-般に『-九一四年のボックス』La boîte de 1914(S210,Ph,P90)と呼ばれる。



元の記事  Marcel Duchamp, The Box of 1914, 1913-14

このボックスには十六のメモと一枚のスケッチ(「太揚のなかに徒弟をもつ」)が収められ、それらはすべて十五枚のボール紙の台紙(25×18.5cm)に貼られている。


元の記事 Marcel Duchamp, Avoir l'apprenti dans le soleil [To Have the Apprentice in the Sun], 1914

台紙の枚数が少なくなっているのは、《三つの停止原基》に関する三つのメモ(〔1〕~〔3〕)が一枚の台紙にまとめられているからである。



元の記事 Marcel Duchamp, Three Standard Stoppages, 1913



容器の箱はコダックの写真乾板の空箱が使われている。

なお、オリジナルのメモは、のちにウォルター・アナレンズバーグに与えられ、現在はフィラデルフィア美術館のアレンズバーグ・コレクションに所蔵されているが、それもほぼ同様の体裁をとっている。

これらのメモは《停止原基》に関するものを除けば、《大ガラス》あるいはデュシャンのその他の作品に対する直接的なレフェランスを持たない。

とすれば、このボックスは、いわば『グリーン・ボックス』の余白に書かれている、と言うこともできるだろう(メモが書かれた年代そのものは「グリーン・ボックス」とほとんど変わらないことに注意しよう)。

だが、われわれはこの余白においてこそ、デュシャンのもとでの様々な観念(《製作の理念》)の生成の現場により一層近く立ち会うことができるのではないだろうか。

現実の作品へと結実する遙か以前の発生状態のアイデア、あるいはむしろ言葉の上での単なる思いつき-デュシャンの言葉は、単純であればあるほど、曖昧な意味の複合、不透明な余白の混沌へとわれわれを導いていくだろう。

他方、このボックスはそれ自体ひとつの《作品》、しかも極めてデュシャン的な作品であることを認めなければならない。

それは《写真》によって記録されており、容器の《箱》は写真乾板用のまさに《レディ・メイド》である。

『カバンヌとの対話』でデュシャンは、こうしたボックスについて、はじめから箱のイメージがあったわけではなく、むしろアルバムのような形にすることを考えていたと語っている。

そして、おそらくわれわれは、そのアルバムから箱への飛躍のなかにデュシャンの《創造的なプロセス》を見出すこともできるだろう。

なお、このボックスの「三」という製作部数にも、彼の原型的なオブセッションを認めることができよう(メモ〔1〕-〔3〕およぴ〔12〕の註参照)。

翻訳にあたっては図版として掲げたアルーサーロ・シュヴアルツによるファクシミリ版(A.Schwartz,《Notes and Projectes for The Large Glass》)を底本として用い、メモの配列はミシェル・サヌイユ編《Duchamp du signe》に従った。

ただし、実際には、メモに定まった順序があるわけではなく、各メモに付されたナンバーは参照のための便宜的なものに過ぎないことに留意されたい。

この《ボックス》には、英訳としてHamilton.《The Bride Stripped Bared by Her Bachelors, Even》, Schwarz《Notes and Projectes for The Large Glass》,があり、日本語にも瀧口修造(《デュシャン語録》、粟津則堆(《みづゑ》1968年12月号)、東野芳明(《マルセル・デュシャン》)の諸氏によって部分的に訳されている。

今回、われわれの翻訳には、註を付け加えたが、デュシャンのメモの本来的な在り方からして、故によって原文の正確な意味により一層近付くことができるというわけにはいかないだろう。《正確な意味》などどこにもなく、むしろ無数の多義的な意味の可能性があるのであり、われわれの註がそうした一意的ではない拡がりを多少とも開くことになれば倖いである。

かなり強引とも思えるレクチュールを付け加えたものもあるかもしれないが、それはそうした様々な水準にたわる多義性のうちのひとつの《可能的なるもの》として受け取って載きたい。もちろん、われわれの註はかなり部分的なものであり、また訳そのものについても、なお不都合な点も多いと思われるので、大方の御教示を載ければ倖いである。

最後に註の中で用いた略号を示しておく。 LG=A.Scbwarz, 《Notes and Projectes for The Large Glass》,Ed.Thames and Hudson,1969,London.(LGの後に添えられた数字は同書中でのメモのナンバーを示す)。 DDS=《Duchamp du signe》,Ecrits réunis et présentspés par Michel Sanouillet, Flammarion, 1975, Paris. CW=Arturo Schwarz《The Complete Works of Marcel Duchamp》, Thames and Hudson, 1969, London. S=CW作品目録のナンバー。 PH=フィラデルフィア美術館、カタログ・ナンバー(Anne d’Harnoncount, Kynaston of Mordern Art and Philadelfia Museum of Art, 1973, New York) P=パリ「デュシャン展」カタログ・ナンバー(《Marcel Duchamp, catalogue de la retrospective Marcel Duchamp 》 Tome Ⅱ, Centre national d’art et de culture Georges-Pompidou, 1977, Paris)